成長の階段

世界選手権で奥原選手が女子シングルスにおいて優勝した。

インドではその精神性の高さ、つまり「大和なでしこ」の心の強さを評価する声が上がっているらしい。ただし、日本代表監督の朴さん、つまり韓国人のスポ根に起因すると書かれていたことには少々考えさせられたが、いずれにしても日本のあるいは日本人の持つ大切な何か広まりつつある。

選手の成長や熟達の過程は、常に右肩上がりの直線的な成長とは言い難い。むしろ不規則な階段状と考えたほうが良いかもしれない。

小学生や中学生の頃は、日に日に上手くなる自分が分かるくらいだったろうが、その中でも小さな階段の踊り場があったはずだ。選手は下から上がってきては小さな踊り場をいくつも越えながら成長していく。

この段階での勝つ要素は「早い者勝ち」である。例えば、かなり早い段階から親との関わりでスタートしたり、早熟で人より体が大きく強いショットが打てるとか、などである。もちろん資質(これがあいまいなのだが)の有無もあるだろうし、「きっかけ」などの出会いも当然考えられる。しかしどれをとっても「早い」に収束していく。
中学卒業後、高等学校でチャレンジするとなると話が変わってくる。それまでたどったくねくねした成長の道のりを振り向けば、他の多くの選手がズラッと下のそれぞれの「踊り場」にいるのが見えた。しかし高校生になって気づくと、その多くの選手が今、自分と同じステージにずらっと並んでいる。つまり追いつかれるわけである。その後はほんのわずかな「差」で争うようになる。具体的には①決まっていたショットが返球される、②自然とラリーが長くなり、今まで体験していた苦しさを超える、③忍耐強さや安定性などの心の強さが求められる。陸上短距離や水泳の様に、「わずか・・・の差!」のごとく、その差を埋めるものは究極の「しつこさ」となっていく。

子供の頃、親に連れられバドミントンをやっていたころ。「何回続くか」が楽しかった。しかし、大会などで勝ちたいとなると、「続かせない」というおよそ逆方向に視点が変わっていく。お父さんコーチは言う、「バカだな、こうすれば簡単に勝てるんだよ!」と善悪混濁の「技」を伝授してしまう。しかし、これは子どもにとって苦しい親のエゴかもしれない。

現在、我が国の高校生レベル、ことに女子シングルスにおいてはそのレベルが国際レベルになりつつある。だからラリーが切れない、長い。しかしある意味これは当たり前のことである。ミスなく返球を続ける選手が勝ち残る。簡単なようだがこれが難しい。

指導者は語る。「こんなにやってもなかなか勝てないのがバドミントンなんだよ」と。

実は成長の階段はまだ続く。それは「人が生きていく道程」に沿い始めるからだ。
生きることは成長すること、生きることは困難や葛藤と向き合うことなのだろう。