Newcomer 新入りさん

初夏を思わせる陽気を台風のような風が吹き払い、花曇りの土曜日に西武台は入学式を迎えた。

新人たちは不安そうな顔つきで体育館の席に着いていた。制服もカバンもおニュー、上履きは真っ白。

保護者のみなさんはさすがに緊張している感じではないものの、我が子が加わる新しい世界を静かに後方から見据えていた。西武台の式典は昭和そのものだから、きっとご自分の時と重ね合わせながら懐かしさも感じていたかも知れない。

バドミントン部にも新人が加わった。所帯が大きくなることはうれしいことだ。

新しい学校や職場や地域との出会いは見知らぬ世界への「旅」の始まりかもしれない。あえて「旅行」ではなく「旅」なのだ。前者は、それがあるのは知っている、だが直接見ていないからそれを「確認」する作業かも知れない。一方で「旅」は何が目に入り、肌に触れるか予想がつかない、驚きとトラブルの連続のような気がする。

始業式で校長先生がおっしゃった「負ける経験を積み重ねる」とは似たようなことだと思った。まさに人生=旅=Try & Error(トライアンドエラー;挑戦と失敗)の繰り返しで、命に関わるようなことでなければそれでいいと思う。つまりエラーの数だけ挑み続けている証拠でもあるのだから。誰にだって「暗い過去シリーズ」や「黒歴史」はあるはずだ。それがあるから「今」がある。

見知らぬ世界への旅には「対話」が必要だ。俗に言えばコミュニケーションなのだろうが、「コミュニケーションとるんだよ!」と言われてもどうすりゃ良いのかわからないのが現実だ。自分のよく知っている身内や仲間の中なら、言葉も省略したり「専用語」だって使えるからコミュニケーションは簡単だ。しかし、初対面や特に苦手な相手とのそれは難しい。このように自分とは異なる(キライな)相手とどれだけ上手にやりとりができるかがコミュニケーション能力だ。ここには「誤解」や「失礼」やさまざまな「まちがい」が起こりやすい。しかしこれがチャンスなんだ。まちがいにも「価値」があるのだ。

学校というところおかしなところで、「大いにまちがいをせよ!」と言っておきながらひとたび間違えれば怒られる。「個性的に」と言いながら個性を前面に出せば「ふざけるな!」となるのも学校だ。間違いの質や量の問題でもあるだろうが、これらの「おこられる」経験も含んだものが「まちがいの価値」なのだ。

しかし実際は臆病になってしまったり、逃げ出したりしたくならないでもない。だけど、陰でヒソヒソ悪口言ってみたり、口には出さずに腹の中で灰色の単語ばかり並べているより、間違いながらやりとりしているTryが良いと思う。まちがいの価値が自分の血肉になる日が必ずあるからだ。

4月は多かれ少なかれ老若関係なしに新しい世界に触れる。サクラや多くの花々が「失敗を恐れるな!」と背中を押してくれているような季節で本当にいいものだ。西武台のバドミントン部では、バドミントンはもちろん勉強だって、それに歌って踊れて「田植え」もできなければならない(?)その都度戸惑ったり足踏みをしてしまうこともあるだろうが、「勇気」はそんなときに使ってほしい。

特に新人の選手たちには新しい「旅」に挑んで、今まで誰も観たことのないすばらしい風景を味わってほしい。