1986年 創部

「正式には部員は、男子21名でスタート。(1年生が16名、2年生が5名) 体育館には、2面分だけのポールとネット。ラインはまだない。今までで、一番印象深い試合はこんな中で生まれた・・・。」(部10周年記念誌Vol.1「源流を求めて」より)

1986年(昭和61年)学校開校(武陽学園高等学校)とともに部活動として発足し、翌1987年から本格的な活動が始まった。その後昭和から平成に移り3学年そろい(第1期生5名、第2期生16名、第3期生5名)で活動も充実し始めた。体育館事情は思わしくなく、週2回の使用のみで屋外での練習が多かった。手描きの2面分コートに2面分のネット、残る2面は“ひもネット”で練習を行っていた。

1990年 関東大会初出場

「試合に出られない君へ。あなたが毎日、シャト ルを拾い、打ち返してくれる。試合では声がかれるほどほど応援してくれる。だから「チーム」 になるのです。まさに『一人一役』です。当時の 体験は、卒業してからも決して忘れることがないと思います。現役時代は、がむしゃらに泣くまで 頑張って下さい、努力して下さい 」

(部20周年記念誌 関東大会初出場第3期生キャプテン荒井さんより後輩たちへ)

練習にリズムができてきた。内容はさほどいいとは思わないが、男子高校生のバドミントン”らしく”なってきた。関東大会に初めて出場できたのは、3期生が3年生の時。会場は埼玉県の上尾市だった。その後、関東選抜に個人ダブルスで出場できた。高校デビューの選手ばかりであったが、そのバイタリティと成長がすさまじかった。朝も夜もバドミントン漬けの日々が始まった。

1992年 女子部本格的活動開始

「歓声が上がる度に、手摺りに身を隠し、「勝ったよ」と肩を叩かれるとそっと安堵の胸をなで下ろす。こんな連続を感じながらの3年間であった。それが我が子が卒業すると、楽しく応援に出かけることができるようになった。これは一体何なのだろう。」

(部10周年記念誌 第5期生保護者 松村良三様の言葉より)

第4期生から女子が入部し、5期生が3年生の時に初めて男女そろって関東大会に出場できた。女子の練習メニューは男子とほぼ同じであったが、少しずつ女子向けに改善し始めた。信州の夏季強化合宿が本格的になり、中国(広東省広州市体育学校)への遠征も始まった。

1993年 インターハイ初出場

「さて、インターハイ予選ですが、やはり決勝が一番印象に残っています。私 がフルセットで勝ったこと、小倉・山田がダブルスで勝ったこと、立和田、加 納…、そして小倉が最後に体全体が痙攣を起こしながら戦い、そして西武台が初優勝して インターハイへ出場したこと・・・。少しは恩返しができたかもしれません。 」

(部10周年記念誌 第6期生キャプテン 渡辺昭寿さんのの言葉より)

 5人しかいなかった6期生が急成長し、千葉県を初制覇しインターハイ学校対抗戦に出場、その後エース小倉選手が国体で準優勝する快挙をなした。それに続いて女子も7期生大塚選手がインターハイ、国体で活躍し男女とも全国大会で活躍できるようになった。

 それと時を合わせて、中学が開校し、バドミントン部も創部された。特に男子の加藤選手は千葉県を制し関東、全国中学で大活躍をした。

 地元ジュニアチームの成長と共にこれまで高校デビューだった選手が中学あるいは小学生からバドミントンを経験している選手が少しずつ増えてきた。

1996年 10周年・インターハイ男女出場

 創部10周年を祝う1996年夏、男女アベックでのインターハイへの出場を果たした。3期生の保護者、荒井様のお声がけでバドミントン部保護者会も充実し、あたたかくしかも力強くチームをサポートしていただくようになった。数々のイベント楽しみにしながら選手は中高とも着実に実力をつけて成長し続けた。

 中国広東省広州市の体育学校との交流が順調に進み、技術交流だけでなく青年同士の意義のある事業と成長した。

 10周年記念誌(4部構成・一部抜粋)

 

10周年記念誌

Vol.1

10周年記念誌

Vol.2

10周年記念誌

Vol.3

10周年記念誌

Vol.4

 

 

2000年 中高全国大会連続出場

 地元ジュニアチームが合同練習会を経て「野田ジュニア」を結成し、全国小学生大会で活躍し始め、その選手が西武台中学、西武台千葉高校バドミントンチームに加わり、各選手、チームのレベルは着実に向上した。

 さらに、高校女子では小柄ながらインターハイシングルス5位の快挙を成し遂げた瀬能選手を皮切りに、県内連覇が始まり、中でも15期生の佐藤選手・小池選手の活躍は目を見張るものがあった。ちなみに小池選手は実業団チーム広島ガスで長らく全国の頂点を目指して活躍を続け、佐藤選手は明治大学女子バドミントン部の昇格に大きく貢献した。

 このころ、2005年に地元野田市で全国高校総体(インターハイ)が開催され、2010年には国体が私たちの街にやって来ることが決まった。選手の強化事業にますます拍車がかかり、小中高の連携指導体制もピークを迎えた。

2005年 千葉きらめき総体

 まさか、自分たちの街でインターハイが行われ、そこに出場し活躍する日が来るなんて夢にも思っていなかった。だが現実にその日が近づくに連れ、街のインターハイ準備作業に拍車がかかった。一方私たちは「選手育成」をメインに力を結集させた。地元開催の場合、倍の出場枠(通常:団体1、個人2 地元開催:団体2、個人4)が与えられたので、個人戦は男女ともいつもより多くの出場が叶った。また、会場が分散し、狭い街ではあるが応援団も移動に一苦労した思い出がある。

 できるだけ「この街から」、「この街で育った選手」がメインコートでその勇姿を街の人たちに観てもらいたかった。インターハイ最終日に「西武台」のユニフォームでコートに選手が立つことができたことは何よりもの収穫になった。また、高校から本格的に始めた選手がインターハイに出場し、勝ち進んだことも地元開催ならではの快挙であったかもしれない。

 女子は学校対抗戦で第5位に入賞し、個人戦では男女ダブルスが最終日のメイン会場で活躍することができた。とりわけ、女子の松本選手と皆川選手のペアは疲労を抱えながらも懸命に羽を追い、その後に続く選手たちの見本となり目標ともなった。

   この夏を境に、われわれの夢や目標がさらに高まった。

2010年 ゆめ半島千葉国体

 全国的にも活躍し始めた地元のジュニアチーム、そして付属の西武台中学で力をつけた選手が次々に高校で活躍し始めた。2005年のインターハイから5年後の2010年にはそのような選手で地元開催の「ゆめ半島千葉国体」に出場することができ、見事入賞を勝ち取った。

 その後国体には連続出場を果たし、千葉県少年女子チームは、西武台の選手で構成されながら、和歌山国体、岩手国体で3位入賞に入賞している。

 バドミントンの根が街に根付いた。そしてさらに豊かなスポーツ文化を育むため「NPO法人アルファバドミントンネットワーク」が設立された。

2014年 二度目の千葉インターハイ

 インターハイが各都道府県単独開催から地域ブロック開催に変わり、2014年は南関東ブロック開催でバドミントン競技は千葉県千葉市開催となった。

 前回から9年を経た西武台千葉高校女子チームは、さらにレベルアップと、大会での成績を常に更新し続けてきた。

 千葉市JFE体育館で行われた学校対抗戦では、名門熊本中央高校や聖ウルスラ高校などに勝ち第5位まで躍進し、女子シングルスでは春の選抜で3位入賞した荒木萌恵選手が地元の声援を背に堂々入賞を果たした。

 さらに翌2015年春の全国高等学校選抜バドミントン大会札幌大会では、同学年無敗の山口選手を破り決勝戦に勝ち進んだ。

 

活動と交流の広がり

 学校の部活動の良い面はさまざまあるが、活動が大会での勝利だけに向けられると、過度な競争と閉鎖的な時空間を生み出す負の面も現れてくる。

 創部当初より勝利至上主義に陥らないように「バドミントン以外の活動」を心がけてきたが、2013年に発足した特定非営利活動法人NPO法人アルファバドミントンネットワークは、この「バドミントン以外の活動」の役割を引き受け、選手たちに、様々な活動と幅広い交流の場を提供し協力し続けた。

 具体的には地域の方々、とりわけ子どもたちとのバドミントンによる交流、海外の選手や地域との交流、そしてバドミントン以外でみんなで同じ目標を達成しようとする活動を支援してきた。

 法人の理事は卒業生であるOB、OGはじめその保護者の方や、長年チームを支えてくださっている方にお願いし、手弁当のボランティアで毎年活動を続けてる。

 特定非営利活動法人NPO法人アルファバドミントンネットワークのホームページ

2017年 30周年を迎える

 2017年、創部から30年を迎えた。最年長のOBは40代後半になる。特別なイベントは行わなかったが、顔合わせの記念パーティーは盛大に行うことになった。

 当日、街のホテルのバンケットルームには大勢の関係者が集まり、懐かしい話と数えきれないほどの笑顔がお祝いに彩を添えていた。

 当日のスピーチより

 「創部当初は選手はもちろん指導者も若く、恐れるものはなかった。「自信Confidence」に満ちあふれてていた。しかし、選手の育成はもとより、チームの成長はそう簡単なものではなかった。私たちは様々な「葛藤Conflict」を経験することとなった。しかしその都度わずかながら成長し始めた感じがする。」

 「そこで気づいたことは、大切なことは自分の中にあるのではなく、関わる全ての人や物に内在しているということであった。私たちはスポーツのもつ『仲間づくり』をフルに活用しながら多くの方々と関わり合う「協働Collaboration」を学び始めた。すると今まで重苦しく感じていた我々の目の前に新しい地平が広がった。」

 「『老いて初心忘るべからず』の言葉どおり、私たちは常に新しい課題や困難に向き合い続けなければならない。「挑戦Challenge」は私たちの呼吸のように続いていく。」