夏の終わりのハーモニー

 下から沸き立つような入道雲から、朝夕空高く薄い雲が見え始めた。

 夏休みもあと数日だ。宿題の埋め合わせに精一杯の選手もいるだろうが、わたしも「社会復帰」に努めなければならない。

 インターハイの後からチームが新しくなる。完全な世代交代は夏の信州合宿から始まった。ぎこちない新米リーダーが奮闘しながら、文字通り24時間メンバーたちが寝食を共にしチームの中に小さな「核」を作り上げる。それは羽を打ちながら、山に登りながら、そしてキャンプで火をおこしながらでも少しずつ形作られる。

 他方、技術練習も振り出しに戻る。今夏は幸い全日本ジュニア予選の前後に数日間余裕があったので「短期集中講座」と題してダブルス、シングルス共に基礎固めを行った。毎年のことだから、1年生は仕方ないが2年生は聞いたことだろう、と思っていてもその立場にならないとわからないらしく、こちらは言ったつもりでも伝わらないことだらけだった。

 そして個人戦のデビューであるジュニア予選と地区夏季大会にトライしてみる。昨今はまるっきり初めてという選手は少ないが、学んだことを落ち着いて試してみる経験はこれが最初だと思う。もちろん上手くいかない選手がほとんどだがみんなにとってはナイストライだったようだ。

 国体の関東ブロックを3年生を中心に苦しみながらも上手く乗り切り、今秋は男女そろって本国体に出場ができることになった。

 そして夏休み最終コーナー、栃木県で行われた全国私学大会に臨んだ。これは新チーム初めての団体戦であり、わずかに手慣れた選手もいるものの、ほとんどの選手にとって初めての「全国大会」でもある。デビュー戦独特の緊張感に包まれていた。練習でやったこと、言われたことを「正しく」やってやろうとすればするほどぎこちなくなり、周囲の評価、大抵はわたしの目を気にしながらコートという舞台でバラバラの動きを繰り返しミスのオンステージになってしまう。本人はもとより周囲のみんなも目が当てられない炎上状態がある程度続くが、やがて身体が覚えた記憶が自然とよみがえり、踊り出すように羽を追い始める。この【艱難】状態から【三昧】状態に変わるのはそれなりの準備と気が遠くなるほどの精進が必要だが、多かれ少なかれある程度までは誰でも経験できる。

 子どもの頃から「何でも一度でできる子」と「何回やってもできない子」がいたはずだ。さらに言うとある程度のレッスンまでは難なく進むがそれ以降がどうしても進まない場合や、虫食いのように、できるできないがまだらになっている場合、そしてそれらの時間配分が等速だったり変速だったり、その様相は人それぞれだ。だから同じチームだからといって全員が同じようには成長しない。

 ある技術を習得(獲得)した状態を「技能」というが、習得にしても獲得にしても時間とそれなりの努力が必要だ。人の評価ばかり気にしている様では受け身になってしまい獲得が遠のいてしまう。

 ある本に「愛されることばかり望んでいる者は、この世の『間借り人』でしかない」と書かれていた。「愛される」とは他者の評価を期待している状態だと思うが、それでは自分で自分の人生を生きることにならないと言うのだ。「いいね!」をたくさん集めてもしあわせにはなれないようなものだろう。「愛する側にまわる」ことが大切だと書いてあった。愛するとは例えば楽しむことでもある。ラリーやゲームを楽しむとき初めて自分のバドミントンをやっていて、自分の人生を自分の足で歩くようにHappyな気分になっていくのかもしれない。

 話がややこしくなっていったので、宿題をやりながら「気晴らしに」これを読んでいる皆さんは、おそらく中盤以降眠りの「ゾーン」に陥っているに違いない。

 いずれにしても夏休みはもう終わる。タイムマシーンで過去には戻れない、嘆いても仕方がない。できることは未来を作り出すことです。

 業務連絡します。9月9日の午後、天候によっては10日の午前に稲刈り大会を行います。今年は豊作だそうです!カマもって集合。

今年はきつかった・・・。夫神岳登山