春の息吹

さすがに朝晩は凍てつく寒さだが、ここ数日、日中のあたたかさが春をかすかに感じさせてくれる。受験生も今がピーク、頑張れ!

「伝える」というテーマで小学生に授業をしたが、「えっ、何?」って感じで「伝わっていない」という感触がきっちりと「伝わって」きた。あらためて伝える難しさを学んだ。

今週末は「千葉バドミントングランプリ2026」をわが町の最北体育館、関宿総合体育館(今は関宿パークMOPSというのだ!)で行う。県内を4つのエリア(BOSO・CENTRAL・BAYAREA・TOUKATU)に分け、小学生から50歳以上のシニアの男女が団体戦を繰り広げる。この広い千葉県の最果ての地にわざわざおいでいただく選手、関係の皆様には心苦しく思うが、バドミントン競技は年齢、男女、すべて同じルールなのでこんなことができるのだ、と感じてほしい。さらにそのプレーを息づかいがわかるくらい間近で観て、声をかけてほしい、そうしたできるだけオープンな一日にしたいと私たちは思いを寄せる。

そもそもこのイベントには小さな歴史がかくれている。

2005年にインターハイが千葉県(わが街野田市)に来ると決まったその数年前に「盛り上げ企画」として県内の小中高の選手や指導者を一堂に集め「身になる一日」を開いた。その後2010年に国民体育大会、いわゆる「国体」(現在は「国民スポーツ大会」になっているが・・・)がやはり千葉県(野田市)で開催されるので同様の会を開き、さらにその後数年間は選手向け、指導者向けの講習会を行ってきた。コロナ禍を経て大会形式にして今春で3回目になる。

全国レベルでも同様の大会が行われていた。神奈川から始まり、広島、そして仙台、栃木と開催地と形式を変えながら続けられてきたが、はっきりとした理由も語られずに大会そのものが消え去った。推測できる理由は「全国」規模と名乗りながら参加しない地域があったこと、選手の選抜に不透明感がある、そして指導(リーダーシップ)の一本化が図られない・・・などであった様な気がする。さらにその場が「スカウト合戦の温床」になっていたり、最も聞こえた声が「これって何のメリットがあるの?!」だった。

残念、無念である。こうした負の側面があるにせよ、この間の日本人選手の活躍は国内から世界に羽ばたき、その頂点を極めるに至った。という事実をこの大会と結びつけるのは早計であることくらいはわかるが、前全国中体連委員長、小野先生(千葉県)の身を粉にしたご努力で成し遂げた「中学生の水鳥使用への改革(2000年)」の成果とあわせて、冷静にそして巨視的に日本のバドミントンを考える切っ掛けにすべきだと強く感じている。

「そんなこと言ってたら・・・」、「勝負の世界は・・・」というフレーズは、私にとってさび付いた貧乏くさい(貧乏ではない、『くさい』のである)感じがする。村の夏祭りを目にして「これって、何のメリット・・・?」と言ってたらきっと引くだろう。

スポーツにおける「敵・味方」などもそうだが、スポーツそれ自体が進化していることに気づくべきだ。今まさに手元に届くイタリア、ミラノで開催されている冬のオリンピックでは、ほとんどが誤ったら死んでしまうような身命を賭した競技ばかり(カーリング?あれだってあの重い石をぶつけたら・・・)なのに、高度なテクニックと鍛え上げられた肉体が織りなす名シーンを見せてもらっている。その中でも勝ち負け、国籍、男女関係なく喜び、抱き合うシーンを幾度も目にする。そう、今を生きる若い世代は次のページをめくっているのに、「ちょっと待って、まだ読み終えていない!」と駄々をこねて、未だに『巨人の星』を大切にしているのは我々古い年老いた世代だ。社会情勢だってそうだ。戦争したいのは年寄りのリーダーではないだろうか。コロナで芸人ひとりが亡くなるのにはセンシティブであるのに、ガンガン打ち放つ大砲の、その先には罪もない人々がいることが想像できなくなってしまう。そこを『そんなこと言っていたら・・・論』で前を塞ぐ。いかん!こんな天下国家ばなしを平気でするから小学生には伝わらないのだ!

反省すべき世代、それは老人である私だ。そう認識しているから「千葉バドミントングランプリ」には力を注ぎたいと思っている。バドミントンは「楽しい」もので、スポーツはHappyになるものだ、と肝に据え、当日は音楽かけて、床に座って、声張り上げて選手を励ましたい。思いは「伝わる」はずだ。

このイベントは持続可能性も選手強化や選考につながる一本道もない。だけども真冬の千葉で、しかも一番北の体育館でバドミントン競技の春の息吹を感じてほしいと願っている。

大会サイトはこちら

フィナーレの模様