おつかれさまの国

一雨ごとにあたたかくなっている。

昨日「春が来た」を開催した。その文集からの再掲です。


春は天候も、健康も、そして人の動向も変わりやすく不安定だけど、考えようによっては正月よりも“心機一転“、人生の節目 Turning Point になる時だ。後半に差し掛かっている自らのそれに置き換えても、流れに任せてはならないような気がして心が引き締まる。

昨今は選手たちとの連絡にメールを使っている。いまどきメールかよ・・・、とお思いの方もいらっしゃるのは承知の上でお話させていただく。女子キャプテンの I 村 S 香選手からのメールは必ず『お疲れ様です』で始まる。考えようによっては『オイラの上司的目線』から言われている感じでイラッとしないこともない。「オイッ、お前は何様なんだよ?」と思い「あ〜、殿さまか、そうか!トノサマバッタか!?」とバッタになった彼女を想像し、納得している自分がいる。

そんな私も「おつかれさま」を使う。便利な言葉だ。別に疲れているわけでもなく、たいそうな仕事に取り組んでもいなさそうな相手にでも、「おつかれさまです!」といえば、会話に弾みも多少の勢いもつく。
しかし、反射的に言ってしまうその「おつかれさまです」の背景には必ず隠されているドラマがある(プロジェクト X の『ポーン音』がここで鳴る)と思っている。

暗く凍(しば)れる冬の朝、立ち上がり、寝ぼけた目をこすりながら歯を磨き顔を洗う。こちらもそれより早く起きてセッセとキッチンに立ち、お弁当と、その残りで朝ごはんの用意をして、ブスーッとした顔で「おはよう」も言わない子どもに声をかける「ほら、急がないと、遅れるよ!」と。言って、言われて家を出る準備が整う。玄関を開けると真っ暗な冬の朝。駅に向かう、またはペダルに足をのせる。帽子にマフラー、そして手袋をはめて一歩ずつ進む、目の前に白い息の雲が浮かぶ。学校までの道のりは十分に分かっているのに毎回辛い。だけど進む。頭の中ではヘッドフォンから流れる軽快な曲とは裏腹に、昨日のイヤなこと、今日の不安が渦を巻いている。しかしそれでも前だけ見据えて歩く。
体育館に入り、灯りをともす。今は LED だからすぐに明るくなるのがせめてもの救い。しかしだれも「こんなに朝早く、寒くて暗い学校によく来ましたね!あなたを歓迎しますよ!」なんて言わない。ただただ、シーンと静まり返るフロアにネットを張る。
こんな時にささやかだけど心強い救い、それは「仲間」なのかもしれない。それこそ「よく来たね!」などとはお互いに言わないよ、辛いのは分かってるから。だから余計なことは言わないの。

分からないこともある。なぜそんなに頑張るのか・・・。なぜ傷だらけでも前に進むのか?
それが分からない。というかその記憶があまりにも遠い昔のことなので「忘れている」のかもしれない。
その昔、私だって前しか見ていなかった。そもそも力も技も無いのに「根拠のない無限の自信」が自分の後ろ盾になって進み続けたんだ。若さだろうか?いや、「夢」かもしれない、「愛」かもしれない、なんだかわからない、だから「おつかれさまです!」なんだ。

これからコートに立って羽を追いかける選手、そして巣立つ選手たちは、この冬の間の坂道ダッシュで鍛えた技と体力、そしてずっと遠くに見据えたあなたの「夢」を見せてくれるに違いない。楽しみだ。

おつかれさまです。春が来ました。

追伸:野田市の俳句連盟は毎年秋に俳句大会を開催している。今回の顕彰、学生秀逸部門の 9 人の中に、女子キャプテン今村柊香さんの作品が選ばれた。
冬将軍屈しなければ勝るものはない

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