秋の巡業

 紅葉と青空、月や星の天体ショーと、いい季節感を味わっていたが今日は一日雨降りだ。この後寒さが厳しくなるのだろうか。

 大相撲の九州場所が行われている。
 あれ、ちょっと前に「一日一番っす・・・、ごっつあんです」とハーハー言いながらインタビューに応えていた力士をテレビで見たばかりだと思っていると、もう次の「場所」が始まる。力士もつらいな。2年ぶりだという福岡の会場は人数制限がかかっているそうだが従来の盛り上がりに近づいている気がする。ところで最近土俵に近い席に座る和服の女性をよく見かけるが、あれはなんでしょ?

 私たちも今月は、間に千葉の県新人大会をはさみ、個人戦で青森県に、団体戦で福岡県に出かけてきた。さしずめ「西武台千葉バドミントン女子部屋秋の地方巡業」のごとく。

 まず、青森県で行われた個人戦では、全国トップレベルの対戦を経験し、はじめての選手にとってはショッキングな「場所」だったに違いない。目的は特にダブルスでのトップ選手との差を感じるためだ。ボーとしていると強力なスマッシュと巧みなコースで、どんどん攻め込まれてしまう。しかしもっと大切な体験は、戦術の差を知ることだ。それぞれチームや指導者によって戦術の組立や使い分けは異なる。それを肌身で感じてほしかった。おかげで、様々な学習ができたし、それを県大会で試すこともできた。青森で泣き泣き撃ち込まれてもその甲斐はあった。
 
 また、昨日までお世話になった福岡県の大会は団体戦形式なので、ズバリ「チームワーク」を感じてほしかった。最近「試合に出ない人は上の観客席に・・・」という形式が当たり前だが、すぐ後ろのベンチに仲間が座っているのは予想をはるかに超えた学びがある。2年ぶりにベンチに選手がそろったので、その高揚感や安心感がプレーを盛り上げるが、それに以上に、コートに立っている選手の息づかい、汗、大声で自分を奮い立たせようとする姿・・・、その仲間をすぐ後ろで観るとき、そして時折視線が合うとき、選手は繋がり、学び、成長する。また期間中、若い選手達が寝食を共にして気兼ねなく語りあえる日は何にも代えがたい成長促進剤になるとも思う。
 さらに「私が頑張らなきゃ!」という使命感も求められる。特に隣のコートで必死にシャトルを追いかけている仲間をチラッと見るとき、それは倍加する。この経験や体験は、自分だけでは儘(まま)ならない、みんなに助けられて生きるんだ、自分だってみんなのために生きられるんだ、つまり、One for All, All for One.の精神にもつながるかもしれない。

 私が年老いてきたせいか、学校対抗戦の指導者の高齢化を気にしていた。そして県大会や関東、全国大会の指導者の大まかな年齢を調べてみた。ずばり個人戦の監督、指導者より高齢の方が多い。チームをまとめるとか、全員を活躍させるとか、そういった指導力は年季(経験)が必要なのかもしれない。さらに良く観ると若手の指導者を従えているケースが増えている。いわゆる「あとがま」でしょうか?そう言う西武台にも若手バリバリの女性指導者が加わった。ご自身もそういった繋がりやチームで生きてきたひとだから将来が嘱望され、私たちとしても自慢のタネになっている。少し時間をかけながら、強くてたくましい、だけど優しく明るいチームを育てるに違いない。

 バドミントンは個人戦だから、団体戦や学校対抗が無意味で、ある意味弊害になっている、とのご意見をいただくときもある。おっしゃることはわからないでもないが、大切なのはバドミントンの選手である前に「人」であること。「人」はバドミントンだけでは生きていけないこと。されどバドミントンを極めたいと思う気持ちも強いこと。この矛盾というかジレンマの解消方法はいろいろあるだろうが、私はコミュニケーション能力を上げることだと思っている。

 「人はひとりでは生きてはいけない」という言葉は、人というものは自分中心で、自分の力だけでは生きてはいけないんだ、だから仲間が必要なんだ、という考えと、さらに一歩進んで「ひとりで生きるの禁止(生きてはいけません!という意味)」とも受け止められる。

 今さら何だが、東京五輪やパラで活躍した競技の多くが「チームJapan!」を全面に出していた記憶が強い。特に私たちのような小さな島にギュッと暮らしている人間は「仲間」そして様々な「場所」が必要なんだ、と思う。

 次のは年末埼玉の熊谷「場所」です。