新入生
満開の桜を気遣うように雨は優しく降っている。
一昨日の入学式、昨日の始業式で学校は本格的に動き始めた。我がチームにも何人かのニューフェイスが加わった。
制服もカバンも「おニュー」で愛らしい選手でも、昨今は幼い頃から本格的にバドミントンをやっている選手が多く、学年と技量が一致するとは限らない。高校から本格的に学びはじめた選手がやっと形が見えてきたにもかかわらず、小学校や中学校でキャリアを積み重ねてきた選手に「瞬殺」されてしまう。他方、日本の部活動には今なお根強く「上下関係」が根付いていて、先輩(最近はSPと書くそうだが)と後輩との間には深くて大きな川が流れている、様な感じだ。これで人間関係は複雑化してくる。我がチームでも、競技力の強いものが後輩で、弱いものが先輩という図式がここ数年続いている。
この問題は真新しいような気がしているがそれはどうやら違うようだ。昔から、東西を問わず人間の集まるところにはこのややこしい関係は存在していた。
人間社会の交通整理に「法律」があるように、人の中や世の中にも目に見えない「ルール」がある。人の悲しみや辛さ、そして弱者の鈍くも僅かに輝く生きる信念が伝わり、初めて自分がこの世でひとりではないことに気づき、自らの未熟さに気がつくとき『礼』を知る。
「気をつけ、礼!」「ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・シ・タ(「シタ!」しか言わないヤツがいるが・・・)!」と『礼』を言うが、それが本来持つ意味と役割の、人の世の中でのもつ尊さは計り知れない。それが無意識に分かり共感ができ、他者への畏敬の念が生まれたとき真のチャンピオンが生まれるのだろう。
「○○ちゃんが入ってきてチームが勝てるようになったね」「やっと○○大会に出られたね」という質的な満足もさることながら、「○○ちゃんが入ってから、みんな明るくなったね、元気になったね、心強くなったね」と言われる『礼』を知っているニューフェイスを心待ちにしている。そして同時に、愚直にもまっすぐ生きている「下手くそ」に春のエールを送る。