空を舞う天馬

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年末は、関東選抜で全員が打ちのめされた。直後、藁をもつかむような思いでたどり着いた鳥取トレーニングキャンプ。小山先生はじめワールドウイングのトレーナー、スタッフさん、皆さんが、立ち、歩き、走り、身体の使い方をていねいに教えてくれて、その上心の持ちようまで「ほぐし」て「調え」てくださり、今まで見たことのない成長を見せている。魔術のようだった。
 
 
新春を信州で迎えている。初日の出は別所神社の神楽殿を兼ねた「農村舞台」からのぞいた。独鈷山の山肌から鋭く強いご来光が差し込むと皆が手を合わせ祈っている、と同時にスマホの見本市になっていた。その後北向観音での初詣、そして冷え切った身体を大師湯であたためた。贅沢な元日だ。
 
昨年の信州夏季合宿で、別所温泉安楽寺での早朝座禅体験会に参加したことを思い出した。窮屈な場所に、窮屈な体勢を強いられ、全てを遮断されたような体験をした。初めての選手にとってはその意義を学ぶどころか「罰」を与えられている感じだったかもしれない。
そこであの元EXILE風(?)のお坊さんから「調身、調息、調心」という言葉を伺う。
姿勢を整え、呼吸を自然に行い、頭の中に静寂を保つ、ということだが、実はこれらが人間として最も自在に生きることができる状態、つまり「自由な姿」だと知った。
 
鳥取で習得した「カラダの使い方」も全て小山先生方が見つけた「自由な動き」であり、さらにシャトルを使って打ち合うとき、相手とやりとりする時にも「自由に」プレーを続けることが次の課題だと感じた。
 
自然のまま、自由に身体と心をつかう、そう考えると「スポーツは遊びである」という原点に立ち戻れる。年末の全日本総合、女子シングルス決勝戦での山口選手の「自由に舞うようなバドミントン」にその神髄を見て感動したものだ。
 
一方、身体はわかるが、人の心はそうはいかない、と思うかもしれない。しかし人の思いだの感性ですらもっと自由になるはずなのだ。残念だが、最近「キャラ設定」という名目で「私はこうです」というひとつのアイデンティティに固執する風潮があると聞く(特に中高一貫校に多いそうだ)。しかし、これも自分を縛りかねないし、もっとたくさんの仲間や人と関わることによって、尊い「自分の本質」の部分が形成されるのに。何か矛盾するようだが、自由を獲得するための不自由があるのだ。その時に「座禅=調身、調息、調心=心の自由の獲得」を思い出してほしい。本当の心の自由をつかみ得ることだろう。
 
「学ぶ」という経験もこの過程をたどる。例えば英語の学習も似ている。特に文法のような法則は「やっかいで窮屈で面倒」だが、その基礎固めを身につければどんな英文だって「自由に読める」ようになるのだ。「学ぶ」というのは「自ら進んで励むこと」である。宿題や課題を渋々こなしたり、暗記に明け暮れて、それに満足しているうちは、残念ながら学んではいない。
 
いつもやっている練習メニューは1年生から3年生まで同じである。1年生はまだまだ基礎の「形(カタ)」さえままならない。2年生はその「形」を完璧にこなす。そして3年生はその「形」を破り自らのプレイスタイルが生まれる。とスムーズにいけば楽だけどなかなかそうはいかない。しかしこのイメージは大切にして欲しい。
 
さて、年末に急成長を遂げた選手達の走りっぷりをスタンドから見せてもらおう!
 
今年もよろしく。