思い出の味

気がつくと日が長くなり、夕空に力が入ってきたような気がする。

いよいよ中高ともに大会シーズンに入った。
練習も基本練習から応用練習に、そして試合練習と進んできた。毎日全員試合をさせたいが、コートと時間の都合で我慢せざるを得ない選手もいる。それでも少ないチャンスに地区大会や県大会、全中、インターハイを想像しながら熱のこもった取り組みが続く。
しかし、どうも上手くいかない、理想と現実の差に喘いでいる。「そこでミスするのか?」これは修辞疑問文である。つまり「そこは絶対にミスしないだろう」の裏返しだということだ。ニヤニヤして人ごとみたいな顔をしたり、ふくれっ面になって黙り込む選手もいる。毎度のことだからこちらも言葉も態度もそれなりに用意しているものの、「思い通りに身体が動かない、羽が飛ばない」もどかしさに自ら気づいた時の辛さは尋常ではないようだ。
よく観察すると、お手本が分かっているがその通りできないもどかしさと、何が正しいのか分からずに闇雲に動き、たどり着いたら土砂降り、の2種類あることがわかる。当然未熟な選手は後者がほとんどだが、上級生でもついカッときて自分が自分でなくなり哀れな結末をむかえる場合もある。
「もうこれまでだ・・・」などとこの世の終わりのような悲しみの暴風が自分を中心に辺り構わず吹き散らす。これが伝染のようにチームに広がり「悲しみ劇場」が幕を開ける。
簡単に泣くわけにはいかない。
駅までは泣かずにたどり着く。すると卒業した先輩とばったり会う。思わず「センパイ・・・、」と愚痴とも懺悔ともとれないおしゃべりが始まり、まるで団体交渉のように「センパイ」を取り巻く。自分にも経験がある「季節」を後輩たちが歩んでいることを知り、切々と自分のその頃を振り返りながら語り始める。「センパイ」自身だって新しい世界に入って今日もクタクタになって帰ってきたところなのに・・・。後輩たちがそれを気づくも気づかないも、センパイの熱が伝わり、暴風雨は止み、湿った南風に変わり、気も晴れてくる。
「何か飲もうじゃないの」と誰かが音頭をとり「締め」のジュースを口にする。清涼感と仲間たちとの共感、一体感で体中癒やされる。
いつの日かそのジュースを口にしたとき、その味、その香りが思い出させてくれるはずだ。未熟だった自分と壁を乗り越えたふたりの自分に。

さあ、大会だ!
そして田植えだ!!