新人大会

「新人大会」は中学、高校では当たり前に開催される大会だ。昔々、高校デビュー、中学デビューが当たり前だった時代、さらに言えば上下関係もスキがないほどにキツキツだった頃、この大会はそのネーミングの効用があっただろう。
しかし、昨今はやたらと競技を始める時期が早かったりして、1年生でもいきなり上位、ヘタしたら優勝してしまうこともあるので、新人と言うより「新人だった」ような選手や取り組みをよく観る。昭和ノスタルジック的な方には興ざめなのだと思うが、よく見れば正真正銘の新人君、新人さんはまだまだ沢山いる。

彼ら彼女らは今か今かと自分の出番を待ち続ける。県大会に出場するには中学も高校も地区予選を経ねばならない。「県大会決まったらラケット買おう!」とか「県大会はおそろいの・・・にしよう」などの思いを秘めて(エサをつって)県大会の切符を手にする。
ご近所の学校を借りて行う地区大会が多い中、県大会は電車やバスなどで遠出し、公共の大きな「・・・運動公園体育館」で行われ場合がほとんどだ。そして季節は秋。やっぱり少し寒いからウォーマーも欲しいがそこまで準備できなかったので、とりあえず近くの「ホームセンター的大型スポーツ屋さん」で前日などに手に入れる。だから当日は「おニュー」、裃(かみしも)状態で少し照れくさい。会場に着くと、「新人だった」選手がお揃いのヨネックス、それも最新モデルなんて着て様になっているところを見ただけでぐんと緊張感が増す。

西武台では高校デビューは最近ほとんどいない。「いつから始めたの?」と聞けばまだ満足に日本語も言えないような「ガキ」の頃からやっている選手もいて、ついついこの先を案じてしまう。

西武台バドミントンが始まったころは逆に高校から始めるのが当たり前だった。そのころの新人を思い起こす。
春の入部時点でオーバーヘッドストロークの素振りが異様にうまいヤツが2人くらい、何とかなるかな、と思う選手が5,6人、これは手ごわいと思わせてくれるのが2人ほど、大体1:3:1の比でスタートする。
夏休み、上位2人が上の学年と同じメニューになる。そして上級生を脅かす。中くらいの群れは誰もパッとしないがルールを覚え試合ができる程度になる。そして「手ごわい奴ら」は頑としてきれいなスイングにはならない。その上覚え始めのフットワークなんかも季節よろしく「盆ダンス」のような動きになっている。

そして新人戦。上位の2人のうち一人が入賞し、まぐれで中盤の選手も一人くらい2~3回戦あたりに進む。「手ごわい奴ら」は会場の外で「素振り踊り」をしている。しかし、新人はいつまでも新人ではないように、「手ごわい奴ら」もまた、いつまでも手ごわいというわけではない。特に男子などは最後の冬を越え、桜が散り終えた後に急激な成長をすることがよくある。

30年前、コートは2面しかなく、もう2面は「ひもネット」を使い「上だ!下だ!」と言い争いながら練習していた。
5人いた新入生のうち最も出来の悪い選手を私はなじった。そして「お前なんかまだ早いんだよ!」と怒鳴りコートから出した。泣いていた。

悔しかっただろう。彼はこっそりとぼろシャトルを家に持ち帰り、庭に電灯をぶら下げて母親にトスを上げてもらい毎日打ち続けた。

2年生、そして3年生の春、彼は5人の中でトップに躍り出て、初の関東大会に主将として出場していた。
電球の下でのトスノックはそれからずっと後になって聞かされた。

玉手箱の中から育っていく様な選手たちだが、その箱の中には親や家族のあたたかなぬくもりがこもっていて、ヒナは温められ、大きく巣立っていく。

30周年の祝賀会に遠方から彼は駆け付けてくれた。「昔はネットが無くてねぇ、ヒモだったんだよ!」と笑顔で今の選手に語り掛けていた。だけど「電球ノック」の話はしなかった。

今回の新人戦で、まさに「新人」の洗礼を受け、泣いていた選手もいたが、これから先がどうなるかは全く分からない。誰もわからない。わかるのは若者のひたむきさ、情熱がすべてをひっくり返すこと、それだけだ。

写真は野田病院からの夕空

次回はジュニアグランプリ!