ゆく川の流れ

歩いていると甘い香りに気づく。無意識に辺りを見渡す。キンモクセイを見つけた。秋なんだ。

あの猛暑の日が消え去り、穏やかになった気がする。「小さい秋みつけた」とはよく言ったものだ。

さて、皆様お気づきのように当サイトはこのほどリニューアルし、アドレスも変わり一新した。是非これまで同様お付き合いをいただければ幸いだが、ついでにというわけではないが、NPO法人のサイトも同様に変わり、気分だけでなく取り組みも変わらねばならないと気持ちを新たにしている。

昨今、「持続可能性 英: sustainability」なる言葉をあちこちで耳にする。永遠や不変そして不老などの気持ちはわかる、が現実は常に変わっていく。

生まれたばかりの赤子のまま一生を送るなんか考えただけでぞっとするが、人生のうちの最も輝かしい時期のまま生きていきたい、そんな無理な願いは、話としては面白いが現実ではあり得ない。月日が変われば成長するし、身体の細胞だって思うより短い期間に「全取っ替え」するらしい。だからそれでいいのだ、と私自身は思うようにしている。

選手も入学時期の初々しさと目も回るほどに忙しい春と、死に物狂いの暑い夏を経て、落ち着きとともに我を感じる秋になる頃、と時間や季節とともに身体ばかりではなく心も変わっていく。できないことができるようになる、何だかさっぱりわからなかったことがわかってくる、そして今までなんとも思っていなかったことに疑問符がつくのもこうした変化の現れだろう。これらをまとめて『成長』と言っておけば良い。

「うちの子はこんなんじゃなかったんですよ。」という親の気持ちもわからぬではないが、成長は誰にも止められないし、そのままだったらおかしいよ。

人間は変わらずにバドミントンだけ成長してほしい、順位だけ上がってほしい、という気持ちはわかるが、そうは問屋も下ろしてくれない。特に子供は変わるのが速いし、だいたい親や我々のこちら側もどんどん変わっていくんだ。

ひとつのラリーやゲームや大会の中でも変わっていく。

先日のコリアオープン、男子ダブルスの決勝で前日まで好調だった選手のショットが冴えない。打てば打つほどネットにかかる。知らずとフォーメーションやローテーションもいつもと違ってぎこちなくなる。すると解説の栂野尾さんが上手にフォローする、「この選手は腕を大きく回す独特のいいショットを持っているんですよ・・・」と。他方女子ダブルスでは、優位だと思われたペアにミスが連続し劣勢に追い込まれる。「そうですね、このペアはこの試合は『長くなる』という前提でやっているんですね・・・」とその「変わった原因」を短い言葉で言い当てた。

さすがだと思った。いつもトップ選手のプレーを観ながら、自身の心の中にすり合わせて「変わりゆく選手の心」を上手に言葉にしている。まるで川の中でゆっくり揺れ動きながら流れていく花びらのスケッチをしているかのように。

では、変わらぬもの、流されぬものは何なんだろうか?一貫した生き方、変わらぬ想い、ひたむきさ・・・。ありそうだな。それらも上手に言葉にできるようになれたらいいと思っている。

明日から、福井しあわせ元気国体に行ってくる。成長という「変化」を期待する。

秋の幕張、稲毛公園から眺める夕日