YKK

朝晩の冷え込みを感じるようになった。新人戦はもう始まっている。

「しあわせ元気福井国体」が終わった。数年前の福井インターハイの宿泊先は海沿いの町だったが、今回は山間のまち。やっとたどり着いた感じがした。

千葉県少年女子は西武台のY選手とK選手、そしてその妹のK選手、頭文字だけならファスナーのメーカーと同じYKKとなる。3人とも学年が異なり、性格や人柄も異なったが、3人の我慢強さは一様に驚くほどだった。

まずは最年少のK選手。少し前に行われた全日本ジュニアの試合中に左足を捻挫した。いつも古傷の右足の黒いサポーターとは違って左足には白いテーピングが巻かれていた。激しい動きは期待はできなかった。

続いて最年長のY選手。2試合目、神奈川県戦のダブルス、1ゲーム目が終わったとき泣いていた。「どうした?」「オナカガイタイです」「腹?」もちろん普通のハライタではなく、少し前の大会中に痛めた腹筋の肉離れが「ギーン!」と来たわけだ。勝ち進んだので、翌日の試合は出ないわけには行かない。親切なトレーナーさんのアドバイスで腹巻き状にテープをぐるぐる巻きにしてコートに立った。「無理はするな」とは言われても勝負の最中はそうはいかない。無理してスマッシュを打ってしまい傷は深くなるばかりだった。

そしてそれはその日の最終試合、準決勝の最初のダブルス、1ゲーム目が終わった時だった。今度はエースである2年生のK選手がやっぱりインターバル中に、目に涙をいっぱい浮かべていてる。「どうした?」と尋ねても最初は「何でもありません」と言うもののそんなはずはない。隠すように差し出した左手小指が親指より腫れている。聞けばラリー中にラケットが接触したらしい。妹のKが医務室からコールドスプレーを借りてきて、テープも用意し本人が巻いていた。その後のシングルスは最初は順調に滑り出したものの、長い長い試合の最終局面でいつもはしないケアレスミスを連発し最後の1点が取れず敗れた。泣き泣き宿舎に戻りアイシングをしてその日は終え、翌最終日の3位決定戦では何事もなかったように果敢に戦っていた。野田に戻り整形外科でレントゲンを撮れば、はっきり骨折が確認され、さらに関節が外れていた。幸い激痛の中で整復された小指は手術をしないで済みそうだ。

3人が3人とも「激痛」を耐えて、千葉の代表として、西武台の選手として信じられないくらい戦い抜いたと思う。心から賞賛したい。本当に「強いYKK」だった。全員ケガをしっかり治そう!

余談になるが、国体の宿泊先は指定されるのでわがままは言えないが、今回はスキーのゲレンデに面した豪華なリゾートホテルに大方の選手、監督さん方が泊まっていた。しかし、我々はじめ少年女子数チームだけそこから離れた「従業員宿舎」があてがわれたのだ。さみしい、正直これって「格差」だ。やること無いので寝るしかない。サッサとやすむ。丑三つ時、女の悲鳴に似た金切り声で目を覚ます。1階には私と従業員の外国人しかいない。「やばっ!これは大変だ」と思い目が覚めしばらく部屋でうろうろしていたが、その音(声ではない)は何と言うことない、2階の方が1階のトイレを利用する際に開けるドアの「キーッ!」音だった。だよな。その後私は気を失った。

もう一つ、すっかり暗くなった試合後、身体がボロボロの3人を乗せ町のドラッグストアにテーピングなどを買いに向かった。すると店の名前が皮肉にも「ゲンキー」だった。店名にニヤついていたのは私だけだった。その二日後に卒業生のGTOこと「元気選手」に偶然会ったとき、つい「おまえの店に行ってテープを買ったよ」と言ったが、もちろんさっぱりわからず、怪訝な顔をしていた。当然だ。それでも無理して話しを合わせようとしている彼は相変わらずゲンキーだった。

ダメ押しの余談、大切な感想。

世界バドミントンの女王となった山口茜選手のふるさとでの国体、ものすごい応援と人気だった。私はそれとなく様々なところで、山口選手の評判を聞いてみた。すると、みな誰もが褒め称え、一様に笑顔になっていた。チャンピオンだからではなく、多くの人から愛され、見守られたきたことがチャンピオンを育んだんだな。そう思いながら山と山の間の町を後にした。