コピーロボ

 梅雨の合間の爽やかな一日だった。夕刻その空に惹かれて田園地帯を散歩(「はいかい」と読む)をした。お気に入りの音楽を聴きながら、沈みかけた夕日にちょうど気持ちのいい風がじゃれているような瞬間を全身で楽しんだ。仕事に追われていたここ数日のいいストレス発散になった。

 学校の、特に小職のような進路指導関連の教師の昨今の決めぜりふを知っているだろうか?「そんなことでは将来AIに仕事を奪われるぞ!」という不安をあおるズルイ手である。しかしそんなこと言っているこちら側は密かに「AIよ、早く助けに来てくれ!」とさらにズルイこと考えて、遠い昔のアニメに出てきた「鼻のボタンを押すとその人になってくれるロボット(コピーロボだったかな?)」の登場を待ち望んでいる。

 関東大会から始まって、インターハイ予選、国体選考会などの怒濤の6月も終盤を迎えた。毎年のことだが選手らにとって生涯忘れられぬ数週間だったに違いない。優勝した選手以外は負けた数は全員ひとつだけ。一方で優勝した選手は毎回険しい山を頂上まで登り詰め、試合数やゲーム数、走り込んだ距離は尋常ではない。そしてこれも毎年のことだが、足腰を中心に痛みを抱えて身体ボロボロ、故障者リストに名を連ねる。今年も3冠チャンピオンは満身創痍でやっとこの季節を乗り切った。2年連続だから素晴らしい記録だ。その名の通り我々の心に希望の「あかり」をともしてくれた。ありがとう。

 会場には休みを上手にやりくりしながら親や家族、そしてかつての保護者や関係者の皆さんも駆けつけてくれた。野口さんの「勝負ゼリー」の効果は抜群だった。こちらもありがとうございました。

 その日を終えた選手たちを暖かなまなざしで見つめてくれた皆さんのその笑顔やまなざしも実にいいもので、それこそ心の中の梅雨の晴れ間になった。

 10日ほど前にに卓球のジャパンオープンである荻村杯が札幌で行われていた。この「荻村杯」とは世界卓球界の神様である故荻村伊智朗氏の功績を讃えた大会である。氏は著書『卓球、勉強、卓球』の中で、高校時代卓球にとりつかれ夢中になっていた頃を振り返り、戦後まもない復興期、母一人子一人の貧しい家庭では学校の「部活動」などはとは法外なつらい青春の日々を記していた。母さんには内緒で隠れて部活(卓球)をやっていた。それでも勝ちたい、強くなりたいと強く願う。真っ赤にほてった顔、吹き出す汗を「風呂に行ってきた」と母親をだましだまし夜になると走り込んでいたそうだ。荻村さんはその後日本チャンピオン、世界チャンピオン、そしてジュニア選手の育成に邁進し、世界各地からチャンピオンを育て、さらにピンポン外交の立役者となり1998年の長野オリンピックを誘致し生涯を終えた。

 そんな荻村さんが今日の部活動で上のような親子のふれあいや笑顔でつながるスポーツの輪を観たらどれほど喜んだだろうか。「そんなニヤニヤして勝てるか!」なんて三流のアスリートが吐き出す言葉など荻村さんは決して言わない。スポーツの楽しさを知り、部活の本当の「良さ」を知っている神様はそんな眇たるイヤミは言わないのだ。

 さてさて、このシーズンに力を発揮できずに早いとこ負けちまったり、描いていた夢のヒーローにはほど遠い結果に終わった選手もいる。むしろそちらの選手のほうが多い。みんなそれぞれ身体ではなく「心の痛手」を負っている。考えようによってはこちらの復帰のほうが難しい。だって自分の夢はおろか、下手すれば自分自身が「全否定」された様に感じる時もあるし、知りたくない自分の暗い本性すら叩きつけられ、この先、つまり前途への限りない不安に長い時間さらされ、心はボロボロになった、もしかしたらまだなっている選手もいるだろう。そんな中でも最もつらいのはそんな場にすら立てなかった補欠さん、補欠君たちだ。何を試みても、どんな慰めも空振り、時にはますます傷口が化膿する。

 そんなつらい思いの選手だってきっと荻村さんは見捨てない。だけどだからと言って慰めもしない。きっと妙薬として「本物」を見せてくれるではないのだろうか。輝く、明るいそして何しろ楽しいスポーツの魅力を伝え、そしてまた立ち上がる魔力をかけることだろう。

 私からのアドバイスは「自分の鼻のボタンを押しなさい。そうすればその時からもう一人の強いあなたに変わるはずです。」だ。さあ、鼻のボタン押してみて!