11月 折々のことば

2015年のバドミントンマガジンのコラム『折々のことば』からの再掲です。

『秋の新メニュー』

 「今日のメニューは何ですか?」もちろん練習のことである。

 『メニュー』とはその日の練習の工程であり、選手と指導者の「取り決め」「ルール」のようなものでもある。指導者が留守でも選手はその「工程」に従って真面目に(?)取り組む。しかし中には「こんなメニューで良いのかよ!これって何の意味があるんだ?」などとメニューに対して批判的に感じる選手もいる。

 学校の先生は授業の前に「教材研究」と称してその時間の「メニュー」を考える。とりわけ新米の先生などは不安解消にもつながるので熱心に取り組む。しかし、私の経験から「用意周到に考えられたメニュー」に沿って授業を展開した時ほど空虚で殺伐とした授業になってしまうものだ。熱心に準備を進めるあまりに生徒の顔を忘れ、独りよがりになってしまったのかもしれない。メニューはざっくり組む程度で、その場で臨機応変、柔軟に生徒に対峙するほうが、こちら側も生徒も生き生きとやり取りを楽しめる場合がよくある。

 また、「ひとりひとり」に対応したメニューができれば良いが、部活動の練習でそれを行うと、お互いに「てんてこ舞い」になってしまう。他方、全員一斉の組織的、伝統的な練習(メニュー)を行うと個別性は阻害される。どちらも善し悪しだが、一斉練習だからこその利点もある。それは「あの子ができて自分ができない」「去年はできなかったが今年はできた」という、自分を客観視できる点である。

 卓越したピアニストはその成長過程でいくつかの段階を経る。最初は譜面通りに指を運ぶ。次第に手際が良くなってくる。しかし一流と呼ばれる人はここで終わらない。聞く人の感じ方をなぞりながら対応力を身に付ける。それは凡人にはわからぬ領域だろうが、熟達者たちは、このあたりから『よく考えられた練習』という段階に入るそうだ。つまり誰かに決められたものではなく自ら湧き出てくる「必要な練習課題」に取り組むのである。

 新人君もそろそろメニューに「口出し」したらどうだろうか?それに対して指導者もカッと来る気持ちをおさえて、「では、お前は何がしたいんだ?」という問答を試みる。いささか面倒なやり取りで、しかも「爆発の危機」をはらんではいるものの、これこそ「生きた練習つくり」には欠かせない「工程」だと思う。そして『秋の新メニュー』が誕生していく。