-マイナスから+プラスへ

 今日はあたたかかった。春の匂いも感じた。サクラの花もそろそろ、本来なら心もウキウキしてくる頃だが・・・。

 休校が続き憂鬱(ゆううつ)な日が続いている。目に見えない小さなヤツらに、わたしたちは狙われ、恐れ、この先どうなるんだという不安感が連続ノックのように襲いかかっている。

 街場を見渡す。

 風景①「絶対阻止、これ以上は入れません」と、マスクバッチリ、デフェンス体勢がしっかりとれている方と、「マスクなんてしないよ!オレは。コロナかなんか知らねえけどぉ、来るなら来いよ!!って感じ」的な、気合い十分、根性で乗りきるタイプの方がいる。もちろんこっちが勝手に思い込んでいるのだが・・・。

 風景②ちょっとこぶとりの小学生、3,4年生だろうか、男の子が一生懸命ランニングをしていた。そのわずか後ろを「瓜二つ」ならぬ「瓜一つ」の母さんが自転車で伴走している。ここからも私の思い過ごし(妄想)だが、「母ちゃん、もう飽きたよ!身体動かしたいよ!!」と母親に言ったものだからこんなことになった、というシナリオではなく、「おらっ!あんたさ、そんなにゴロゴロ寝てばかりいて、食べるだけ食べて!母さんみたいになったらどうすんの?」とお母様。「オレは男だから『母さん』にはならないよ!」「そうじゃなくて、だから母さんみたいに・・・なったら、ってことだよ」「なんで『太ったら』って言わないんだよ!」「今なんて言った?上等じゃない!」と受け応えが続き、結論としてこの伴走ランニングになったと勝手に想像した。しかし筋書きはどうでもいい、ふたりはそれなりに話をしたとは思うし、少なくとも何だかのコミュニケーションをとった、その結果「伴走ランニング」になったのだろう。

 今日は3.11、多くの方々が「心的ストレス」を感じた東日本大震災から9年が経った。

 「心にキズ」なんて本当にあるの?って思っていたこどもの頃。歳をとるにつれて「心もキズがつく」と自身の経験で知るようになった。さらに心は身体以上に傷つきやすく、人生はこの「傷付き合い」を繰り返す。その中で妥協点と成長点を見いだすものだとも思うようになった。

 「心的ストレスは学習や練習に対してマイナスに働く」という話を選手にした。楽しく、ウキウキした気持ちでラケットを持たなくては技術は習得できない。しかしゲーム中はそんな気持ちばかりではない。むしろストレスをつねに感じながら羽を追い続ける。このとき相手と羽を打ちながら「言葉以外のコミュニケーション」を図ることで自分の立ち位置を俯瞰して見えるようになる。つまり「妄想」の駆け引きをすることによってストレスを緩和させるのだ。

 心的外傷後ストレス障害、いわゆるトラウマによる苦しみは深刻だ。しかしその後「心的外傷後成長」を多くの人々が経験するとも言われている。今日を悲しい日にしてもいい。だけど今日を希望の日にしてもいいと思う。

 親子で話ができた日、お互いに自分を伝えられた日、少しでも「自分がわかる」日になればいい。

 

 追伸:頑張っていたツッシーさんとリナさんはそれぞれ中央大学と駒澤大学に進学することとなりました!二人の健闘に敬意と、みなさんの励まし、お心遣いに感謝します。

なんか暇らしいッス

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