春夏秋冬-竹澤劇場の幕が上がる-

 気温の乱高下を繰り返しながら確実にあたたかな春に向かっている。桜の便りもそろそろだろうか。

 今期の『春が来た』がにぎやかに、そして感動的に終わった。文集より私のものを再掲する。

     -春-
 『希望』の光がまっすぐ照らしてくる。「高校に入ったら・・・」どうなるかわからない不安よりも、あれもしたい、これもしたいという『希望』のほうがはるかに強い。その光が私を浮かび上がらせるスポットライトになっていた。舞台の上には、まだ『コロナ禍』の残骸が残っているが、春のやわらかくあたたかい風がそのすき間を縫って私たちの『希望』を演出してくれた。

     -夏-
 あらゆるものを焼きつくすほど熱く、見たこともないような生き物に出会い、まるでジャングルをさまようような日が続く。不安と疲労で後ろにひるむと激しい流れに足をとられ、見る見るうちに水中へ引きづり込まれた。気が付くと知らないところにたどりついていた。そんな悪夢のような日々が続いた。この先どうなるか不安だったが、自分の意志とは別に、本能のまま前に進んでいた。

     -秋-
 空がどこまでも青く、高くなっていく日、ほんのわずかだが、成長した自分を感じた。思いもよらぬ収穫の季節を味わう。自分のスマッシュを速く感じた。コントロールの良さも身につき、今までとは違い長いラリーやゲームをあきらめずに辛抱強く取り組むようになり、大会でも活躍できるようになった。春とはちがう「おもしろさ」を強く感じる季節だった。すがすがしい秋風が背中を押してくれている。

     -冬-
 しかし、ある日、陽の沈みが早くなったと感じるころ、頭の上に黒い雲が漂(ただよ)い、暗闇(くらやみ)に包まれていった。打っても走っても、何をやってもうまくいかない。「もうダメだ!」と生きてきて初めて『絶望』を感じた。跪(ひざまず)き、闇の中を這(は)いずり回る。
 と、その瞬間、近くに人影を感じる。倒れても立ち上がり、何度も前に進もうと挑み続ける「友」の姿を見た、というか見てしまったのだ。目を凝らすと、父や母、家族もいる。そうした仲間たちが肩を貸してくれ、背中を押してくれやっとの思いで立ち上がり、ほんの少しだけ前に進んでみた。そしてずっと遠くの先にある、小さく、しかし強烈に光る強い点に引き付けられるように歩み始めた。その足つきが次第に大きくなり、傷つきながらも自信に満ち溢れた眼差(まなざ)しで歩みを進めた。

 

     -再び、春-
 桜が咲き、頬(ほお)にあたる風に春のにおいを感じながら、新しい山をまた目指し始めている。さらにたくましくなった足取りで、ますます大きくなった心で。そしてどんどん膨らむつながりの輪とともに。
 今、あなたの目指す「目標」は、私たちの『夢』になっている。新しい春が来た。

 小さな街の小さな劇場の幕は下りた。
 まだまだ慣れない大きな街の、とてつもなく広い大舞台にかかっている幕がゆるやかな春風にゆらゆら揺れている。 

 そしてまた幕が上がる。