ごひいき
朝、車のフロントガラスで寒さがわかる。ガッチリ凍っている朝は、いよいよだな、と覚悟を決めるが、ここ2日間凍らない。このまま・・・という思いで打ち放ったスマッシュは、きれいにカウンターレシーブされた感じで、今日は痛冷たい。
スポーツの面白さのひとつに「応援」がある。『ごひいき』の選手やチームを、自分と重ね合わせながら心の底から応援する。とりわけ困難を克服して勝利をつかんだ時などは、それこそ狂ったように喜び、そして喜び合う。
私にもごひいきの選手、チームはいる。バドミントンはM選手、スケートはK選手、ゴルフは引退したがM選手、野球は、サッカーは・・・と、応援対象を決めている。
卓球は石川佳純選手だ。ずいぶん前から追ってきたつもりだが、思い出されるのは2016年、夏。我々は岡山県でのインターハイに臨み、その朝は団体戦初日で、会場へ向かう車には主力の選手たちが同乗していた。さすがの緊張で車内はシーンとしている。気晴らしにラジオをかけると、日本の裏側ブラジルからの一報が流れた。
「リオデジャネイロオリンピック、卓球女子シングルス、日本の石川選手が北朝鮮の選手に初戦で敗退・・・。」
若手が台頭し始めたころで、それでもまだメダルを狙える大会だと思っていたので、はなはだ残念であるとともに、今から始まる私たちの大会を暗示しているのではないかと不安になり、聞かせたくない気持ちにもなった。
その後石川選手は辛い負けを何度も味わっていた。負けた瞬間のボー然とした表情や涙をこらえる後ろ姿ばかりが記憶に残ってしまう。この頃から一昨年、東京オリンピックの代表をつかみとるまでのドキュメンタリーが放映され、ますますその辛さが心に焼き付けられた。
卓球の全日本選手権が無観客で行われた。準々決勝からTV放映されるのは立派だと思う。トーナメントの右半分は午後からだそうで、石川選手は第2シードだから一番最後なはずだった。そのままテレビをつけっぱなしにしておけばよかったが、「不吉な予感」が先立ち、自主的に家事に没頭し忘れようと思った。そんな姿は見たくない、というファンとしては最低の逃げでもある。
それでも気になり、夕刻のスポーツ特集に注目すると、「張本選手、まさかの敗退!」ばかり騒がれ、石川選手のその後は隠れていた。
決勝戦の日、彼女がそこまで上がってきていることを知りホッとはするものの、伊藤選手には歯が立たないだろうと思っていた。
仕事があるのでライブではもちろん見られないが、一日が終わり、TVに目をやると彼女らの戦いはまだ続いていた。3-2で伊藤選手が王手。先輩選手を相手に、あの手この手で石川選手を攻め続ける。
卓球のサーブ直前のあの目がいい。一時静止し、ボールと相手に目線が刺さる。ラケット持つ手がヒラヒラする伊藤選手などは、さしずめ背中に羽が生えた「大鷲」のようである。その他にも「ライオン」的勇士ポーズの選手や、「あなたの『お命』頂戴します」的な刺客スタイルの選手がいる。いずれにせよあの瞬間の絵がスゴイ。
石川選手が追いつき追い越し3-3になりそうな瞬間、伊藤選手は『待った』をとった。コーチと何かミニ作戦会議を開いている。その後、伊藤選手が一本決めると、コーチが無観客の会場に響き渡る強力な拍手を繰り返した。やだなと思った。
しかしそこで、どうしてもその場を離れなければならない事態が起き、TVを消した。
しばらくして、思い出したようにTVをつけると、伊藤選手がやはりコーチと深刻な顔で話をしている、「また『待った』か?」と思うとカメラは石川選手に移る。しゃがみこんでいる石川選手だ。そしてあの「泣いている後ろ姿」だ。あぁ・・・。
「5年ぶりの優勝をおさめた石川選手・・・」のアナウンスにドキッ!とした。試合が終わった直後らしい。
インタビューのマイクの前で、彼女はしばらく黙り、そして泣いた。
たしかにスポーツは『御ひいき』があるとおもしろい。子どもの頃、姉に「アンタはいつも勝っているほうばかり応援するんだから」と指摘された。だって勝ちを応援するのは気分がいいのだ。ウルトラマン的勧善懲悪、仮面ライダー的ギンギン正義の味方三昧の日々の中、勝側に回る快感を得ていたのだろう。
しかしながら、このような子供の頃にスポーツと関わる場面で、勝ちだけを応援する姿を見せるのは注意が必要だ。勝ち=正義、負け=敵=悪、という心の芽を植え付けてしまったら、子どもがかわいそうだ。だってそれではスポーツの楽しみの半分しか伝わらないから。
苦しい時に寄り添う人が必要なように、負けている時こそ応援が必要だ。
だから彼女、石川佳純選手は、アスリートとして、ひとりの人として、当たり前だが大切な一言を残したのだろう。
「感謝してます」
本当に心の底からこの言葉が言える選手になってほしい。
おまえも応援されるようになれよ!