心の春

 受験生には申し訳ないが、あたたかな陽気になんとなくウキウキしていた。もちろん彼ら彼女らにも、もう少しで春が来るはずだ。

 さて、一年も自粛が続いている間に、自らの生活スタイルは自然と変わっていった。日曜日に練習しないことや、朝練をしないことなどには慣れてきたが、家での「家事手伝い」はまだまだ修行の身だ。まずは皿洗い、そして掃除、洗濯、時にはミシンも操るようになった。しかしどれもこれも自信を持って独り立ちできるレベルではない。

 その中でも唯一自信があるのは「洗濯干し」だ。そんなの誰だってできるだろう、と指摘を受けるのは覚悟の上での話。

 「洗濯干し」は気分が良い。何回かやってやっと当たり前の理由を見いだした。天気が良いのだ。それも朝一番の日光浴で「心がウキ出す」のを感じ取れる。そうするとどういうわけか「面倒だな・・・」や「まぁ、いいか」がなくなってくる。つまりこだわりを持った「干し方」(例えば、ハンガーと『洗濯ばさみメリーゴーランドマシン』の使い分け、大物の干し方(扱い)、予想される今後の風対策、近隣の方々からの風評(これは勝手な思い込みにしか過ぎないが・・・)等々細かく考えながら、そしてお気に入りの音楽を聴きながらベランダを行ったり来たりする、このつかの間が心地いい。

 ライフスタイルのもう一つの大きな変化は「オンライン・・・」だ。

 我々のチームでも『電撃英語講習会』と銘打ってこの1年間、ZOOMを使いほぼ定期的に配信し、受講生(選手たち)とバドミントンとは違ったつながりを持ち続けてきた。おかげで英検などでも上位級に合格する選手が増えた。そのノウハウは別として、配信側の私にとっては、バドミントンも英語も同じような「筋道」で成長することができると確信ができた。かつて尊敬する名伯楽が「英語は頭の良し悪しじゃないんです!」とおっしゃった言葉が、何となくだが分かる気がする。

 そして今その言葉が「バドミントンだって生まれや才能で決まってはいないんです!」とも聞こえてくる。日本人にとっての英語との関わり合いと、同じようにバドミントン競技との関わり合いの歴史(時間)はほとんど同じだ。そしてその習得の過程もおもしろいようにつながるところがある。

 かつて駆け出しの私に「痩せ馬に鞭を打ってどうするんだ?結局は出自だよ、才能だよ。才能がないあの子たちをただ苦しめているだけだ。」と真顔で指摘した方がいた。しかし30年経って分かった。それは違うということが。

 生まれはもちろん異なる。はっきりはわからないがおそらく持って生まれた才能も異なる。それはそれ、しかしどんな人でも英語やバドミントンを「楽しむ」ことはできる。楽しみの先にポット現れる流星のようなよろこびが「優勝」だったり「合格」ではないだろうか。だから何でも「気分良く」楽むことが最も大切なのだ。

 ひとなんか「気分」次第でずいぶん違うものだとつくづく思う、がその反面、逆を考えるといたたまれなくなってくる。自分の気分なのに、誰かや何かのせいにしたくなってしまう。気をつけなければ・・・。

 今朝方、SNSに「今日はこどもの誕生日。1ヵ月ぶりにやっと子どもたちと一緒に食事ができた・・・」と綴っている、医療に従事しているOGの投稿に胸を締め付けられた。コロナ禍、そうして暮らしている方々は少なくないのだろう。彼女は私に「バドミントンがしたいです!」と返信してきた。バドミントンをして「気分良く」なりたいのかもしれない。

 そうしてその様な気持ちを抱えながら現れる体育館に、笑顔満点の選手たちが汗をかきかき羽を追う「気分のいい」日常が早く戻ることを心から願い、夢見ている。

 カレンダーより前に「心の春」を感じた。

菜の花が咲き始めました。

利根川堤