The boughs that bear most hang lowest.

「制限のない夏」と言われているわりにカラッとしない夏休み。それも最終コーナーに入りつつある。

 夏休みに入るとすぐにインターハイで徳島に行った。帰ると夏期講習(『SSKDash!』と言います)が行われ、全日本ジュニアの予選があり、そして信州合宿に出かけた。戻るやいなや国体の関東ブロックで東京都町田市に出向き、今週は地区の夏季大会が行われている。残るは最終週の全国私学大会だ。

 選手は代わる代わる出場するので、学校に残った選手もただ休むわけにはいかない。あらゆる方々のお力を借りながら乗り切っていかざるを得ない。練習相手だけでなく、選手の育成には様々な面で多くの方々の協力が必要になる。が、ちょうどいい具合に救世主は現れる。遠慮無くそのお力にすがる、そんな感じだ。

 そうして選手は育っていく。我がチームも信州合宿を境に新チームが誕生した。今夏の3年生から2年生へのバトンタッチは上手だった。キャプテン同士がダブルスのパートナーであったこともさることながら、渡す選手たちも受け継ぐ選手達も息が合っていた。ついでに(と言っては失礼だが・・・)男子も加わり、文字どおり多様性を深めたいいチームになった。

 コロナ禍でニッチもサッチもいかない、と嘆く声を大会ごとに耳にする。当方もそれなりに困ったが、逆の方が大きかった。つまりこのパンデミックがなければわかり得ないことをいくつか学べた。そのひとつが「バドミントンの楽しさ」である。久しぶりに羽が打てる時、試合ができたり、大会に出場できたりしたときに、あらためて「おもしろい!」と感じた。次は「練習メニューの大改革!」であった。これまではスタンプで押したように、私たちだけでなく、全国津々浦々で同じようなメニューが組み立てられ、当たり前の様にそれが受け継がれてきた気がする。しかし今回「時間制限」という課題の前で、前々から無駄ではないか、意味が無いのではないか、と思われるメニューはバッサリ切り落とされた。例えば出場する大会が、それぞれのチームで繰り返される練習メニューの成果を試すところと捉えるならば、我々が取捨選択したメニューはそれほど間違ってはいない、そう感じた。そして最後は「仲間や協力」の大切さであった。前述にもあるように、選手の育成や若者の教育は予定通りには進まず、むしろアクシデントの連続のような気がする。だから予定調和を念頭にデジタル思考で、予定、実行しても大幅に見直しが求められる。それはまるで神様が我々の人生を裏目裏目に采配しているように。

 さてさて新チームのみなさんはこの夏でどれだけ成長したかな?もちろんそんなことはわからないくらい小さかったり、自覚できる成長がないかもしれない。しかし、いずれにしても全員が様々な体験を通じて何だかの成長はしているはずだ。

 先日、みんなが植えた稲の様子を観に行った。立派にスクスク大きく伸び、あれだけグチャグチャに植えた苗たちが、すっときれいに並んでいるから不思議だ。そしてその稲穂にはそろそろ収穫直前のお米が揃い、頭(こおべ)を垂れていた。

 表題のThe boughs that bear most hang lowest. boughsは伸びゆく枝や穂を表す名詞、次のthatは関係詞、bearは~を産む、実をつけると言う意味、そしてhangがこの文の動詞です(もちろんThe boughsが主語)。【最も多くを実らせる穂は、最も下の方に垂れ下がる】 つまり「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というわけだ。人格者ほど謙虚であるというたとえである。

その逆に弱いものほどよく吠えるというのもある。ブラン、オマエだ!

稲刈りは輝陽祭(文化祭)の後かな?!