夜明けのまなざし

 10年ぶりの寒波だという。練習帰りのフロントガラスにチラチラ白い粉が舞っていた。「そうだ!Yahooの『今の天気はどうですか?』をクリックしよう」と、帰宅後意気揚々とサイトを開く。するともうすでに15人が「雪ですよ!」をポチしていた。このまま積もるのだろうか。それとも「積もれ!」と願っているのだろうか・・・。

 1月も後半戦。年賀状の整理も終わった。例年400枚以上やりとりしているが、ここ数年「もう年賀状はヤメます!」宣言をする方が増えている。さらに何も言わないで返信せずに収束を図ろうとする方々もいるみたいだ。そんなこんなでこれからは枚数も減っていくだろう、とは思う。今や家庭にプリンターがあり、自動でジャンジャン刷ってくれているし、ネットやコンビニで発注している方もいる。色柄はかっこよく、且つ、ご自身やご家庭の一年間が伝わる絵や写真をあしらえて素敵なカード作りを楽しんでいる。一方で、全面手書き派は少ない。が、いる。ハハアー、とひれ伏すように眺めさせていただいている。だいたいこの手の方は年配で絵も字もかなりの腕前だ。お止めになる方は、「量産されるハガキでは『魂』が入らない、だったら止めよう」と聞くことがあるが、それでもSNSや、メールで代用するところをみると、「魂問題」以上の『何か』が引っかかっているのだろうか。

 卒業した選手にはできる限り年賀状を送るようにしている。一言添えるようにはしているが、だんだんと数が多くなって大変だ。何しろ、関東選抜あたりの年末ドタバタ大売り出し中にサッと仕上げなければならない。魂などはどっか遠くに行ってしまう。それでもキーワードは毎年ある。今年は【ジジイ】だった。「初孫誕生!」より簡単で、さらに状況をスパッと伝えられるうってつけのワードだった。

 「学生生活を楽しんでいるんだなぁ」「あぁ、結婚したんだ」「うそ、母親になったの?」なんて年に一度の情報交換を楽しんでいる一方で、「大変だなぁ」「そうだったのか」と年始早々目頭を押さえる時もある。人生様々だが、年の初めに味わえる小さな連続ドラマである。

 「年賀状だけのお付き合い」などと言われるが、私がどのように選手と向き合ってきたのか、そしてその選手の将来を追ってみたい、そういう意味合いでも年賀状のやりとりは私にとっては生涯をかけた「大実験」の一端ともなっている。バドミントンの上手い下手はそこにはない。あるのはどのように生きているのかという「今」の事実だけだ。そしてその事実とかつて私と時を同じくともにしていた頃の事実を【年賀状】が結んでいる。

 そのような彼ら、彼女らの青春を私はこの目でみつめてきた。どんなにバドミントンが上手でも、冬の今、この季節が一番厳しいこともわかっている。雪ではない、朝の暗闇だ。そこに不幸が重ねてやってくる。いくら頑張っても羽が返らない、身体が思うように動かない。挙げ句の果てには家族や仲間と上手くいかない・・・と。暗闇ではなく『真っ暗闇』だ。重いバッグをグイッと背負い、家を出るとき、学校までの暗い道をトボトボと歩くとき、『絶望』の二文字がよぎる。しかし、逃げるわけにもいかない。「ヨシッ」と心に力を込め【前を見すえる】。

 そんな自らの心と向き合う瞬間の曲を見つけた。『夜明けのまなざし』だ。勝手に思い込んでいる曲だが私にとってはこの季節の支えになっている。

 年賀の便りは小さなハガキ一枚だ。しかし、そこから広がる無限の思い出を重ね合わせながら味わうのも年賀状だ。

 この寒さと暗闇が薄れる頃、若者は再び新たな地平を目指し、次のドラマを演じることだろう。

 これを書き終えるころには雪はやみ、北風がビュービュー吹いていた。

西に沈む夜明けの月 1月6日