萌葱色(もえぎいろ)
山々の入りくんだ肌がそれぞれの萌葱色(もえぎいろ)に輝かせ、気持ちのいい風が顔をなでてくれる。「風薫る」とはピッタリな表現だと思った。
ひと月ほど前に義母を亡くし、その関係で信州に足を運ぶ機会が増えた。あの笑顔とやさしい「おもてなし」に会えない切なさはあるが、道中の山々のまだらな色のキャンバスが目に入るたびに、そして夜空に輝く満天の星々を観るたびに、大きな自然に包まれているごく小さな自分を感じ、母も私たちも同じ世界にいるのではないかと感じる。ささやかな人生をていねいに生きなければならないとあらため思わせてくれた。
さて、話は変わるが、「若い人たちはテレビを観なくなった」と聞くようになって久しい。一方私にとっては、様々な視聴タイプが現れたことも追い風で、テレビへの依存度が増している気がする。観るモノも新しいのばかりではなく、なぜか一度観ただろう的なその昔の作品に懐かしさを感じ再び観て、自分の感じ方の変化を知ることもしばしばある。まるで本との接し方に似ている。
先日そのような懐かしのドラマをマジマジと見てしまった。『熱中時代 教師編』というドラマだ。作品は今から40年ほど前のテレビ番組で、今では『相棒』で、押しも押されぬ大スター水谷豊さんが、新米教師役で登場する。私が教師を目指し、遅ればせながら教職を学びはじめの頃だからそれなりに興味は引かれたが、「こんなもんじゃない、所詮ドラマで、観るに値しない!」とバッサリ切り捨てていたものの、早く教壇に立ちたい(その頃はなかなか教職に就けなかった)と募る思いの狭間でチラチラ見ていたのも事実だ。
年代物だから、当然のように髪型や服装、様々なやりとり、若手教員が校長の家に共同下宿生活を送っているなど、今では「ムリ」であったり、いくらドラマとはいえ「不適切にもほどがある」場面が繰り返されている。しかし一方で、例えば生徒を思う気持ちや教育に注ぐ情熱は今に通じる変わらぬ心肝でもある。とてもとても【昭和いいね】ではすまされない良さがあった。新米教師、北野先生はいつも全力である。そこまで力を・・・と思うものの、ふりかえればふりかえるほど共感と臨場感が伝わってくる。『そうなんですよ。先生はというものは、時に生徒の家庭にまで踏み込まなければならないこともあるんです』と北野先生を励ます天城校長先生は実に校長先生らしく頼もしい。
おそらくこの話のモデルというかモチーフになった教育環境は存在していたに違いない。ならば、今の先生方の何倍も働いている。昨今、医者や教師のいわゆる「センセイ」は患者や生徒を見ずにパソコンの画面を見てばかりいると揶揄されているが、職員室にはそんな先生はまだ見当たらず、その分生徒を見つめているのかもしれない。【働き方改革】というフレーズに踊らされ、コロナ禍を経てさらに追い込まれた現場の先生方は、何者かに操られている感じがする。もっと自由に働いた方がいいに決まっている。そうじゃなければ革新的で斬新な感動する教育は産まれてこないと思うからだ。さらに【部活動を学校から切り離す】ムーブメントが広がりつつある中、これまで以上に現場で生徒のまなざしを読み取り、思いを重ね合わせるチャンスが減っていくことを危惧している。
佐賀インターハイを目指す旅が始まった。今日は地区大会が行われ、床に倒れ込みながらも必死にシャトルを追う姿を観させてもらった。ひとりひとりに色合いの違う初夏の山肌のまだらなもえぎ色のような【アオハル】を楽しませてもらった。『九年前の祈り』で芥川賞を受賞した小野正嗣さんが「文学なんておそらく全く読んでいないような人であるけど、文学に出てくるような生き方をしている人はいる」とおっしゃっていたが、この『文学』を『ドラマ』や『映画』にしてもいい。まるで今日は『ドラマ』を隅に座って眺めていたように感じる。ありがとう。次は県大会で、そして関東大会や全国大会で味合わせて欲しい。
と感心している私はパソコンの画面を見つめ続けている。だめだこりゃ!
関東大会のお知らせ
令和6年度 関東高等学校バドミントン大会
第70回記念 関東高等学校バドミントン選手権大会【とき】
6月7日(金)~9日(日)
【ところ】
秩父宮記念体育館 8日(土)男子
〒251-0026 神奈川県藤沢市鵠沼8-2【最寄駅:小田急江ノ島線藤沢駅】
県立スポーツセンター アリーナ2 8日(土)女子,9日(日)男女
〒251-0807 神奈川県藤沢市善行7-1-2【最寄駅:小田急江ノ島線善行駅】男子 33回目出場 女子 32回連続出場
会場でお目にかかるのを楽しみにしております。