本モノ
青空に雲が竜の様に浮かぶ日、その舞を演出するように南風が強く吹いた。そして風に背中を押されながら今年の田植えを終えた。猫の額ほどの田んぼでも、若いみんなにってはフィールドアスレチック、はたまたアドベンチャーワールドのような感じで、全身泥パックになりながら楽しんでいた。この田植えをスタートラインに今夏のインハイに向けたレースも始まった。
その週末、山陰の写真美術館を訪れた。「写真なのに美術館?」と思いながら霧雨をよけつつ館内に入った。
写真だから・・・、私はサッと観て直感で「いいね!」をつければ鑑賞になると思っていた。しかしその直後、SNSに首まで浸かっている自分が情けなく思えてきた。
その写真家はすでに故人であるが、作品は年代別、そしてその方の心の動き順に展示されている。大きなブロックごとに、作品、写真家の生い立ち、成長の足跡がパネルに書かれ丁寧にディスプレーされていた。「芸術作品に解説はいらない!」とピシャッと断言する方もいるが、この解説は、一つ一つの作品をよく知っていて、さらにその写真家を心の底から愛していることが伝わる秀逸なものだった。文を読み読み作品を観ていくうちに感動で目頭が熱くなる。
若い頃の写真、家族との写真、芸術性の高いワンショット。すべてにその作家の気概と感受性という強いフラッシュライトが輝いていた。この山陰の地でブレずに、欲も出さずにファインダーをのぞいたのだろう。すっかり心を奪われながら部屋を出ると、霧に浮かぶ大山が予定通り目に入る。その仕組みを考えついた建築家との「本モノ」どうしのファインプレーだそうだ。
その晩、もう一人の「本モノ」の小山先生にお会いした。その方はイチロー選手がメジャーで活躍していた時の彼の足を支えていた「BEMOLOシューズ」の考案者である。世界の注目はこの山陰の博士に集まっている。このほど小山先生がTOYOTAレーシングチームのシューズを作ることになった。(5/25発表)。その作成考案の段階で、豊田社長と先生との間で、BEMOLOシューズについてのキャビンアテンダントのエピソードがあったそうだ。一言で言えば「BEMOLOシューズに救われた」話だが、僭越ながら私もこのシューズに救われたひとりだ。自分自身の身体で時間をかけその性能を実感できた幸せに感謝している。シューズは私に「歩いていいんだよ!」と話しかけてくれた気がした。
当世、多くのニセモノとうすっぺらな話が宙を舞い、本モノが見えずらくなった。しかし私たちの周りには、真心でモノをつくり心から他者(ひと)を愛する人がまだまだいる。そして私たちはその本モノから励まされ、生きる勇気をもらっている。
翌朝早く、駅前の温泉銭湯に行った。男湯の大きなのれんをくぐろうとすると、向こうから小柄で年老いた男性が出てきて私とすれ違った。私の「おはようございます」の声に低くしゃがれた声で「ぬるいで・・・」と返答してくれた。いつもは熱くて有名なその銭湯が今朝はぬるい、と・・・。またここで本モノに出会ってしまった。いつもとは違うくらいこの銭湯に長年通っているのだろう。
少し傷んだマッサージチェアに「新マッサージ椅子」と記してある。さらにその上のSENTOのポスターがいい、本モノだ。いい湯だった。
本モノになるには、長い時間とブレない気概、そして人への愛、この3点セットが必要だ!