自動化

四国、愛媛県で「笑顔つなぐ愛媛国体」が行われている。

今年は稲田先生率いる少年男子が出場した。出場した西武台の選手は、ふたりとも3年生なので、公式戦で組むのはこれが最後かな、今月は・・・。
長身の相澤選手と小柄な中村選手の「迷コンビ」も、何だかんだよくやったと思う。これからは大学生になるためのそれぞれ孤独な闘いになるが、いつものような「ドタバタ根性」でゲームを楽しんでほしい。

学校では我が進路指導部主催の「哲学のススメ」というイベントが行われた。
これは以前NPO法人アルファバドミントンネットワークが西武台千葉のバドミントン部を対象に行った講話を、2年生、約300人に対して行うものだ。

「みんなは哲学って知ってる?」という松平先生の柔らかい口調で始まり、「じゃあ、あれって何なんだ?」というそれぞれの疑問で終わる講義は、高校生には不可欠な「学び」だと思う。
その話の中で「心ってどこにあるの?」「そもそも心ってあるの?」という下りがあった。その際先生は、「昨今は心とは脳の中のことだ」と一般的には言われている、とおっしゃった。が、実際目には見えないから何を言われても最後は「そうなの」で終わりそうだ。

稲田先生が不在のため、練習は男子も一緒に観た。近場で集中してみるとよく分かることが多かった。
1年生が多いので致し方ないが、何しろ「ミス」だらけである。びっくりするほどミスをする。「おいおい、ネットなんかかけるなよ!」と言えば、「わっかりました、親方!」と言いながらその場でネットにかける。ダブルスならばほとんどのラリーが「イントロ」で終わってしまう。カラオケなら完全アウト、退場!になっても仕方がないレベルだ。
別にふざけて、手を抜いてやっているなんて、もちろん微塵にも思っていない。むしろ必死に一生懸命やっている、だから残念ながら滑稽にさえ見えるのだ。

動きを司る脳の根幹は「言葉」を直接介さない。ほぼ自動運転の状態だ。もしこの部分が[饒舌なボス]になったら大変だ。
いつもの自分の「心」に向かって「何あわててんの?(関西風でお願いします)」「ちょっと、そんな興奮するんやない!」と言いながら、ひとたびネットにでもかけようものなら、「だから、ちょっと黙ってんか!!」と怒鳴られそうである。
興奮しすぎたり、慌てていたり、チャンスをつかんだとき。逆に「アッ、ヤバッ!」とピンチになったときなど、普段の自分の「心」が叫ぶ、言葉にならない声で。悲しいかなその声が自動運転を狂わせてしまうのだ。

練習のほとんどは運動の「自動化」が目的である。いわゆる「身体で覚えろ」的なもんだが、その際に何か複雑なことでも「考え」ようものなら、途端に動きがぎこちなくなる。考えなくてもできる「自動化」までは時間もかかるが、ある意味「忍耐力」も必要になる。よく「10年1万時間」などと言われるが、普通に考えれば途方もなく長い道のりである。

その長い旅路を共に歩んでくれる心強いパートナーこそ「好き」である。『好きこそものの上手なれ』とは本当に言い得て妙である。

夫婦や仕事もそうかも知れない。

水曜の朝は何も考えなくてもゴミ袋をまとめている。
職場に着けば、何も考えなくても上役にヘイコラ頭を下げている。

「自動化」しているぞ。