アユミとリナ

春の全国選抜を目指して、新人大会が始まった。
先ずは地区予選会。
真新しいペアでのダブルスの挑戦が終わった。まだまだ未熟なペアばかりなので、ベンチで観ていても気が気ではない。途中のアドバイスやゲーム中の声がけは、もしかするとインターハイや国体より苦労したかもしれない。それでも不思議と咄嗟のラリー、そのゲーム、その大会で急にできるようになったり、覚えたり、成長するものだ。今回も目の前でそれを観ることができた。だからコーチのしがいもあった。

しかし一方で、未熟さ故のミスやできない歯がゆさを味わいながら悔しい負けを味わったペアもいた。
リナとアユミペアもそのひとつ、競り合って、もう少しで光が射しそうになった途端に自分が自分でなくなり、まるで急におもりを背負ったように動けなくなり試合が終わった。それでも夏の大会より数歩前進し、来春には希望がつなげたが、目の前のコートでみんなが次々にハードルを越えていく様子を見ることになってしまい、さぞ心が痛かったであろう。

もともと調子は良かった。しかし、ある日アユミが膝を故障し手術を受けることとなった、その日からふたりのナビゲーションに予想もしない狂いが生じてきた。

アユミ選手は朗らかで優しい性格だが、時に突拍子もない発言をする。
まだ入学したばかりの彼女は、東北の強豪校での合宿に参加した。するとやはり身体がきつかったのか、3日目の朝私のもとに現れ、「なんか首の血管が切れたみたいです。今日は休もうと思います。」ときっぱり言ったのだ。本当ならその場で救急車を呼ばなければならないが、どうやら寝違えたか何からしかった。またある日は横腹に卵くらいの謎の腫れがあるとか、半月板が切れたので今日からよろしく、等々、彼女の語録は毎回ウケる。
決してふざけているわけでも大きな間違いをしているわけでもない。ただ毎回感じるのは彼女の「焦り」である。早く追いつきたい、早く勝ちたい、先輩のように、みんなのように・・・、「このくらいで諦めるわけにはいかない!」とけがを押してでもバドミントンがしたがる、そんな「焦り」を言葉の節々から感じる。

バドミントン競技では突発性のケガは少なく、病気も少ない。ただ、習慣性や疲労性のケガ、病気はよくあることだ。その時の原因はほとんどがmisuse(間違った身体の使い方)かoveruse(使いすぎ)、またはその両方が不運にも重なったとき、たちまちそこかしこが「痛く」なる。だから、痛みが取れても自分の動きや習慣などを省みる必要がある。
30年間、大きなケガや病気で『バドミントン人生ゲーム』の「1回休み」を経験した選手は少なくない。むしろ「もうダメか・・・」と地の果てを経験しながら、そこから這い上がった選手がほとんどだ。だからアユミ選手には是非、落ち着いて、前を向いて今までのように優しく明るく「歩み」続けてほしい。

さて、ここまでアユミ選手の話をしておいて、じゃ、リナ選手はどうなの?となるのは自然だ。
彼女は今回初めて自分のふがいなさを感じた張本人なのだ。別にケガでもないのに身体が動かない、初めて試合をやったわけでもなのにわけが分からなくなってしまう、それもゲームの最も大切な局面で。
どんなに辛い思いをしても、決して悲しそうな顔をしない彼女が、試合後私の前で初めて涙を浮かべた。どんなにか辛かったことだろうか、お父さんにもお母さんも同じようにさぞ落胆されたのではないだろうか。
いつも気が利いて、笑顔を絶やさない彼女に「笑顔は100万点、バドミントンは・・・」と冗談で話すが、技術だって体力だってどんどん成長している。だからこちらも前向きに、笑顔を絶やさず今まで通りコートを駆け抜けてもらいたい。

ふたりの話はこんなものではない。

来春の予選が終わり、そしてその次の年、また桜が咲く頃みなさんに「全編ノーカット」でお話ししましょう。