冬2018 点描

ピョンチャン五輪で小平選手が優勝、金メダルを手にした。

前評判もさることながら、個人的に長い間気にかかけてきた選手だったので感極まった。その一瞬というよりもそれまでの困難と葛藤を繰り返してきた長い時間を想像させてくれるので、本の『行間を読む』ような面白さが伝わってきた。先だって羽生選手がやはり金メダルを獲得したが、あの時の形相なども、凡人の我々には到底及ばぬ「わざ」のひとつのようにさえ見える。

少し前に風邪をひき、自宅でしばし療養したが、高々37,8度くらいでオドオドする情けない人間では、到底彼らの困難を理解することはできない。しかし時間があるので天井を見つめながら、いつもの妄想を繰り返してしまう。

冬の風景をバックに、春を待ちわびる人を点々と心に描いた。

【受験生】人生の大きな岐路(と思ってしまう)大きなイベントで、しかも自分のすべてが見透かされる(と思ってしまう)ような気がしてきて、不安と孤独感が締め付けてくる。だからこそ合格通知を手にした時の喜びようは大きいのだが、その逆の場合はまるで重力が倍になったようにつぶされてしまう。昨日「一段落つきました」というOGから電話をもらった。一足先に春をつまみ食いしたような明るさだった。健闘を称え心から春風が吹くことを祈るばかりだ。サ・ク・ラ・サ・クの文字と文字の間に込められた思いがよくわかる。

【故障者】痛いとはっきり思えるのなら納得できるが、今はやりの「違和感」というヤツの呪縛にとらわれている選手は、真綿で首を締められる思いだろう。特に冷えで血行が良くない時に起こる骨膜炎関連に振り回されている選手が多い。ネットで検索し泥沼に陥り、治療や用具に大枚をはたいて半分以上だまされ、それで落ち込んでいる様子を見れば益々痛々しい。チームのみんなとは近くにいるが、どんどん離されていく感じがしてくる。彼ら、彼女らを慰めようと説き伏せるように話しかけるが全く入っていかない。こんな時は「対話」が大切だ。「つらいよね・・・」の一言を添えて。先のオリンピアンも同じように悩んだ日があったと思う。きっとできる練習はあるはずだ。だが、焦りは禁物である。

【老人】野田に呼び寄せた九十歳を超えた父は、東北の農村から戦後間もない頃上京し、お巡りさんをしながら下町でわれわれを育て、自信をもって(?)ヘマと母への迷惑を繰り返しながら生きてきた。今は病院と施設と拙宅を「三点カバー」よろしく行き来している。先週、もともと歴史好きな父が、どうしても市役所で行われる野田市郷土史講演会に行きたいというので、送り迎えを行った。足元もおぼつかないほど弱った父は杖を突きながら、市役所8階の大会議室に入っていった。すでに多くの方々(ほとんど老人男性)が着席していたが、当方はゆっくりと介助しながら空席を探した。「なるべく前のほうがいいんだよ」とヨボヨボの父がぽつっと言った。大抵「前の方の席」というのは、先生から「積極的に聞かなきゃだめだぞ!」と言われ渋々着く席か、開催者を「忖度(そんたく)して」前からつめてやる、などの場合が多い。しかしこの一言は老体ではあるが「今日の日を楽しみにしてたんだ」という実に若々しい言葉に聞こえた。まだ父から教わることがあった。

【旧友】冬の風物詩は「同級会、同窓会、OB会」である。今年もいくつかのそれに足を運んだ。いずれの会もなつかしさ半分、自分の記憶力との勝負半分である。「そうだったっけ」と流せば済む間柄を「ともだち」というのかもしれない。苦労話や不平不満の話しよりも明るい話題が多い。みな気を遣っているのだろうが、そんなことはお見通しで、それを腹に据えて互いに盃を傾けるのがこの「会」の趣旨だろう。年に一回、心の底から心の底へ言葉にならぬ言葉のキャッチボールが楽しめる。

【アカデミラジオ】西武台千葉のイベントで年に2回行われる、「名作鑑賞」の日がある。このほどは池井戸潤作『下町ロケット』だった。進路指導室に作られた特設スタジオで生徒や先生が役を演じラジオドラマ風に仕立て上げ収録された。最近では『陸王』などでおなじみのエンターテイメント作家は言う。登場人物は50人以上に及ぶが、ひとりひとり丁寧に人物考証を重ね、その人々に自由に発言させ、勝手に行動をさせる。「私はそれらの『記録役』です。」と語っていた。中でも「自分の本音とは違う『立場が言わせる言葉』を大切に描きたい。そしてそのストーリーの中でひとが変わっていく姿に着目したい。」というところがが多くの読者が惹きつけられる要素のひとつだろう。

手っ取り早い結果や変化を求めず、春を待つ余裕が欲しい。

春の気配がわかりますか?2018/2/4利根川堤