「おちょやん」は誰?

 春が来ました。

 例年行われる会も今年はリモート開催で、ドタバタよりひどい「ドッタンバッタン」で始まりましたが、最終的に帳尻が合いました。

 恒例の文集も30号になるので表紙のデザインも変えました。その中の私の分を紹介させていただきます。

「子供じみた感じで、私としては誠に不本意ではあるが、会の間に、選手ひとりひとりを披露する時間もないようなので、リレー形式で書かせていただく。特別である。

原琉夏選手。こうも偉大な選手になると、小学生時代に線審をやりながら居眠りしていたことなど信じられないかもしれない・・・。高校入学直後、まだまだ精神的に幼い彼女を叱ったことがある。帰宅すると妻が「あの子は怒っちゃダメ・・・」と間髪入れずに指摘した。それは彼女の方が栗原選手をよく知っているということではなく、指導者として、彼女の成長を待つ『がまん』が必要だ、ということだった。
 家族や仲間たちの間で優しく育まれ、だけど少しやや受け身な栗原選手が、今回のコロナ禍で全国選抜を失った時、「実業団でやりたいです」と初めて自分の主張をしてきた。バドミントンが好きなんだなぁ、と思うと同時に、彼女が自分の道を自ら切り開こうとしていることが私にはとてもうれしかった。トントン拍子に話が進み、我が国でもトップクラスのチームに入団することとなった。
 今、栗原選手はとてつもない不安とプレッシャーの中で新しい生活を始めている。その中ではるか遠くに見え隠れする栗原選手の「目標」が、これからの私たちの「夢」になるのだろう。

と言えば、いつも夢を見ているようなホア~んとした、杉山愛結選手。私はこの仕事を30年以上続けているが、生徒から「私が育てたものです」と手作り野菜をいただいたのは彼女だけだ。もうひとつ、西武台バドミントン史上最も多い「あだ名」を持つ彼女だが、それは『サイヤ』から始まり・・・(中略)・・・最終的には『八宝菜』までたどり着いた。
 ゴジラのような強力攻撃型選手の姉と、機動戦士型の妹に挟まれ、ずいぶん苦労も苦しみもあっただろうが、バドミントンという「よりどころ」と共に生きながらえた、と言っていいかもしれない。
 杉山愛結選手のズバリ良いところは「健気(けなげ)さ」である。ひたむきに我慢して三歩進んで二歩下がりながら成長することを厭(いと)わない。時折見せる細目のニヤリにみんなが救われた。

われたといえば、石塚日菜子選手だ。団体戦の第1シングルスでチームの救世主として頑張ってくれたのはご存じのことと思うが、実はチームの人間関係の調整役として結構イイ役目を裏方として担ってくれていた。時折、自分自身も「悲劇の女王」状態になりハラハラさせたときがあったが、持ち前の粘り強く、ストーリー性のあるラリー作りは、短編ドラマを毎回楽しませてくれるようでおもしろかった。予定通り愛媛でインターハイが行われれば活躍は間違いなかった。だからインハイ中止の知らせは相当ショックだっただろう。
 だが、その後の石塚選手の勉強への取り組み、大学受験、合格・・・という少し長めのドラマ仕立ての半年間も素晴らしかった。将来は、こどもに夢を与えてくれる立派な女性になり、教壇に戻ってくることだろう。「無冠の女王」に拍手。

王と言えばマンちゃんでしょう。政所遼花選手は小柄でかわいらしい表情の一見おとなしそうな選手だ。しかし彼女の発言力、行動力そして統率力はズバ抜けている。社長タイプだ。
 そんな彼女も中学生の頃、いわゆる「反抗期」でずいぶんお父様を悩ませた。そのお父様がご病気で倒れたときにはみんながどれほど心配したか・・・。彼女は、チームメイトそしてその保護者のみなさんに支えらゆっくりと苦難の日々を抜け出していった。
 ひとの「反抗期」は治そうと思っても治らないのが自然で当たり前であるが、対する家族は大変な思いをする。しかしその何倍もの大きな愛情で包み込む、あたたかい「思い」が彼女を立派に育てた。
 言葉も行動もすっかり大人になったのは高校3年生になってからかな?それからというものは、「こんなひとが世間にいるのか?」というくらいの気の利く女性になった。きっと将来は美人だけが取り柄の女性だけではなく、社会のリーダーになって世のために大きく羽ばたくに違いない。

のため、と言えば、正義の味方、上野桃花選手だ。彼女は警察官志望である。社会の弱い人たちのために自らを捧げられる今時珍しいタイプの女性である。
 彼女はいくら苦労してもそれを表には決して出さない。はじめはそれが分からずに、気力がないのかな・・・などと感じてしまっていたが、実は誰よりも我慢強く、他人思いで自分を後回しにできる秀逸な人柄であることを知った。中学での部活経験がないにもかかわらず、チームの隅っこでもいいからと、懸命に頑張り、最後はなくてはならない選手に成長した。「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉は彼女を表す。
 昨今、女性警察官に採用されるのは、難関大学に合格するくらいの覚悟が必要だ。だからそのための専門予備校までたくさんある。彼女が通っている柏の予備校の先生が、「上野さんをよく思わない人はいません。落とす理由のない子です。」と絶賛していた。
 苦労してその職に就いたとき、思いやりのある眼差しで、『相棒』の右京さんのように、「あっ、もう一つ・・・」と言ってほしい。

※3月下旬追伸 おかげさまで「相棒」になれそうです!

棒といえば、いつも私たちの片腕となり、辛い思いをしている人たちに寄り添い、献身的にチームに使えていた、淀美幸選手を思い出す。
 今だから言わせてもらうが、淀三姉妹の中では一番「へたれ」か?と最初は思った。少しのことで泣くし、強い羽は打てないし、ゲームやラリーの最後まで我慢ができずに飛び出てしまうし・・・。
 しかし今、もしかしたら彼女が一番我慢強く、思慮深く、力強い生き方ができる選手かもしれないと思うようになった。ジワジワとそれがわかったのは、希望の灯火(ともしび)が突然消されたあの日々の中だった。
 私は、見えない「淀美幸選手」が、私の袖や背中を強く引っ張ったり掴みかけてくる感じを何度も味わった。それも『執念』とか『根性』という暗い感じではない。どうにかしよう、さあ、乗り越えよう!という【温かみがある togetherの感覚】、それでいて【強い思い strongな心】だった。
 お父様、お母様、お姉さん方など、ご家族お一人お一人の真心が、その様な淀美幸選手を育んだのだろう。そしてそれに応える「生きる強さ」が彼女の魂にもあったのだ。
 印象に残ったのは、あれほど苦手だった英語を克服しようとしている姿だ。いつの間にかに、一流選手のジャンピングスマッシュを逆サイドにバックハンド切り返せる選手になっていた、こんな感じだ。
 まさに All things are easy, that are done willingly. だ。
 まだまだ成長するし、世界が広がるはずだ。将来、どこかのドキュメンタリー番組で特集される人になるのではないだろうか。

キュメンタリーといえば、自らの三年間がまさにドラマチックなドキュメンタリーだった鈴木碧水選手、第29代主将だ。
 普通の中学生が自転車に乗っていて田舎町をフラフラ漕いでいたが、気づいたら高速道路、それも追い越し車線をチャリ走行していた。大雑把に言えばそんな話だ。

 時折横を走るダンプ(側面に『TAKASE興業』と書かれた)の窓が開き、叫ぶ私の「おい!ねえちゃん、しっかり走らんかい!!」という怒鳴り声に、「ハイッ!」と大声で応える、その目には涙がどーっとあふれているが、前からの強い風で後ろにキラキラ吹っ飛んでいく・・・。そのさらに後方に、様々な車やバイクやチャリを引き連れることになる。その仲間からも「オイオイ、これからどないするんや!」とクラクションを鳴らされる。それでも休むわけにはいかない。

 ふと観るとコロナと書かれたサービスエリアが目に入る。そこに入り、みんな一回集まって、今後のコースについて、顔をつきあわせ、ひとりひとりが考えた。ある車はETCでそこから一般道へ、あるものはガソリン入れ直してフルスロットルで北へ、そして南へ、さらに車を乗り換えて山へ向かうもの海に向かうもの・・・、みんな離ればなれになった。
 碧水選手は、しばらく考えて決めた。「また追い越し車線をチャリンコで猛スピードで走ってみよう!」と。プップー!!「オイ、ねえちゃん!危ないやないか!!」と横から怒鳴られながらも必死でペダルを漕ぎ続けた。

 気がつくとそのチャリンコはバイクに変わり、さらにふと見ると次は軽自動車に変わっていった。追い越し車線ではまだまだだが、走行車線ならば何とか走れる。
 どんなに過酷な走り方をしても決してタイヤはパンクしない。そのタイヤには家族の愛情がパンパンに詰められているから。碧水選手は安心して懸命に走り続け、涙がちょちょ切れても決してハンドル(ペン)から手を離さなかった。

 旅はまだ続く。離ればなれの仲間たちと、どこかの街で、どこかの道でまた一緒に走り、時にすれ違い、ドライバー同士の熱き友情である「あっどうも!」の手を上げ合うことだろう・・・。

 末尾になりましたが、保護者のみなさん、ご家族の皆様、みなさんを巻き込んでしまいました「西武台バドミントン家庭劇」、これでひとまず幕を下ろします。
 ですが引き続き、新しい役者(選手)による「家庭劇団」の舞台を、遠くから、でもあたたかな眼差しで支え続くけてください。

 またつぎの「おちょやん」が現れるはずです!

 心中より御礼申し上げます。」