人生の扉

  前澤さんが居る宇宙ステーションISSが観られるというので夜空を眺めに外に出た。

 宇宙ステーションはほんの数分前に通過したそうで、空振り三振。だけど南西の空には尖った月とその右上に「じゅぴたー(木星)」そしてその斜め下に「宵の明星(金星)」が、さらにその中間に「土星」が輝いていた。そのギャクサイ(逆サイド)の東の空には、ゴロ寝をしながらテレビを観ているオヤジ風のオリオン座がこちらを観ているではないか!明日もいい天気かな? 

 師走の鳥取に行ってきた。

 空港に着くと、ドンヨリと垂れ込めた雲に包まれ、そこはまさに日本海に面した冬の街そのものだった。コナン空港のロビーを出ると「霰(あられ)」が降っている。

 娘を訪ねたその旅は、彼女の人生の節目を見届ける旅でもあった。

 コロナ禍で軒並み大会が行われない中、チーム(チアフル鳥取)の監督さん、コーチ、選手の皆さん、勤め先の方々、さらに鳥取のバドミントン愛好家さんたちが、時間とお金を工面して大規模な練習試合を行うことになった。親として、というよりもひとりのバドミントン愛好家として是非観戦したいと願い、イソイソと夫婦揃って出かけた。

 娘が我が家を離れて10年。家を離れたとはいえ、大学の頃はその気になればすぐに行ける距離だった。しかし鳥取はいささか遠い、挙げ句にコロナ禍で訪れることも彼女のバドミントンを間近で観戦することもできないままこの日を迎えた。時折動画が送られてはいたが、やはりコートサイドでのライブはよかった。彼女の膝の痛さまでズキズキと伝わってくる。観戦する方々とため息や歓声もともにできる。

 その中には娘の大学時代から共に支え合った仲間や大先輩の皆さんもいらっしゃった。身に余る2日間である。とあるOBさんが「慶應大学を出て、実業団で競技を続けた女子選手はこれまでいなかった・・・」と娘に話していた。

「うん!?それってどこかで聞いたな・・・」と私はビビッときた。

 私の好きな落語家の立川談慶さんだ。師匠は昭和落語界の反逆児立川談志にビビッときて、慶応卒唯一の噺家になった。師匠が最近書いた、9年という長い前座時代を経て二つ目、真打ちへと出世していく成長と葛藤を描いた小説『花は咲けども話せども』の中に「世界は人様の覚悟でできている」と書いてあった。人生の次のステージに立つとき、心の底で覚悟を決め、目の前の扉を開けるのだろう。

 私も時同じく次のステージ(そんな大それたものではありません、次の「コマ」ってとこです、ハイ・・・)に進もうとしているので、感慨深い。

 娘はそんな人生の扉を6年前に開けた。そしてこの日、次の扉の取っ手に手をかけた・・・、がオイッ!開けた扉はちゃんと閉めなさいよ!開けたら閉める、アケッパはダメ!

 そう思っている私も後ろの扉を半開きのまま次の扉を開けようとしている。親子は似たもの同士だ。

 談慶さんは言う。「お互いダメな人間同士、一緒につまづきながら仲良くやろう!(『花は咲けども話せども』)

 お疲れ様でした。 

会場のヤマタスポーツパーク鳥取県立布勢総合運動公園体育館