学ぶ・伝わる・夢がかなう

 残暑はいつまで続くのか・・・と思いながら、あちらこちらと大会ツアーで出ていたら、国体で訪れた鹿児島で、今シーズン初めての沈丁花フレグランスシャワーを浴びた。竹澤劇場最終幕の鮮やかな思い出に秋の香りを添えてくれたようだった。

 教える仕事を続けて、繰り返し、失敗とほんのわずかな達成感を経験してくると、それなりに見えてくる景色がある。

 ひとつは、そこには図面がないことだ。

 あるのは出会いと響き合う魂のふれあいだけである。様々なハウツーの本や資料や講習などを読んでも聴いても、何か「ピン!」とこないのは、出会いがなく、魂のふれあいもない、そればかりか「笑顔」もない時間を共有しようとしているからだろう。私の下手な料理経験から思い知らされたことは、レシピのままやればいいというわけではない、ということだ。へっぽこな私にとって、いかなるレシピも「冷たい」。「少々」「ほどほどに」「手っ取り早く」などのお言葉を頂くと、いつもプールのヘリに立たされる感覚に陥る。そして飛び込むものの「ハラウチ」で上半身前面真っ赤、そんな悲しい結果に終わる。それは経験を積めばわかるのだ、と宅のスーパーバイザーは言うものの、「じゃ、レシピって何?万能じゃねぇじゃん・・・」とげんなりしてしまう。つまりあくまでもレシピは「図面」で「できるようになる技術の習得」ではないのだ。

 ふたつめは、たとえどんな教え方でも、つねに一定数の効能があることだ。

 健康法やダイエット、そして英会話などはよくわかる例で、どんなダイエット法でも「効きました!」と喜ぶ【○○県◇◇市の××さん】がいる。早朝(かなり早い時間)のテレビをご覧くださいよ、そんなこんなのコマーシャルだらけでっせ!誰も起きていない朝っぱらにそれを見入ってしまう自分が情けない。ちなみにここ何年か前から、「これは個人の感想」などと但し書きが出るようになった。その言葉を載せればどんな悪行もできてしまいそうで怖い。私は、目の前の限られた選手だけでなくより多くの選手に届く方法を模索している。

 三つ目は、互いに自信満々な人間同士だからやっかいなことだ。

 まず教わる方、大概は幼い子か青少年だろうが、たとえどんな年齢の子どもでさえ、あるいは年齢が低ければなおさら、「自分が正しくて、自分が中心」主義で生きている。「自分が信じられない」なんて小学2年生がいたらそれはそれで不気味だが・・・。何しろ自分の頭の中ではつねに自分が【裁判長】であり【総理大臣】、はたまた【神様】なのだ。そんな子どもはあなた(教える側)のことをかなり手厳しく観ているにちがいない。重ねてなかなか受け入れようとしない。そのような子どもの鋭い観察眼を見て、「ほら、彼ら、彼女らは目をランランとさせて私の話を聞いてくれているよ!」などと勘違いしている大人は、私も含めて多いに違いない。さらにやっかいなのはその大人(教える側)も、これまで自分を全否定どころか疑ったことの少ない「心健康バカ」が多いので、自分のレシピが気に入らないものなら途端に、①怒鳴り、②説教をかまし、③最後は諦めるか見捨てる。「だって、あいつらバカなんだもん」という自分を守ろうとする捨て台詞を心の中で吐き捨ててしまう。

 どれもこれも私自身が経験した(今も経験していると思うが)ことを題材にしてみたが、これらの問題解決に対して、現れるのが「専門家」である。しかし残念ながらどう見ても何も教えた経験はなさそうで、だれも育てたことのなさそうな大センセが宣(のたま)うには、「そもそもですね・・・」と3千年前からその答えはわかっていたぞという顔面で話すのである。加えて、結局、誰からも文句を言われない、叩かれないような、まるで【なにもつけないで食べるシラタキのような言葉】でまとめて消えていく。私はこれまでもそれを求めたときもあったし、実際に参考にしたときもあった。しかし話が遡るがどれも「ピン!」とこない。

 つまり求めていた答えを知っているような人は「専門家」ではなくて、専門的でありながら自ら現場で研鑽を積んだ、いわゆる「達人」だったのだ。

 私はその「達人」に今までに何人か出会った。その方々はどなたもいわゆる一筋縄ではいかない「複雑」な方々だった。

 そのひとりが小山裕史先生だ。

 バドミントン競技はもちろん知っている、先生は寝る間を惜しんでその競技を知り尽くし、ご自分で経験しながら自らのものにしていく。さらに長い年月の中から得た膨大な他競技理論、そこから得た知見をふりかける。こうしてバドミントンにアプローチしてくださった。だからとてつもなく面白い。私が経験した半世紀近くのバドミントン的常識を2秒で崩した。そして私に無限に広がる新たなバドミントンの地平を見せてくれた。楽しい、実に楽しい。

 例えば、バドミントンの練習。体操やってランニングしてストレッチだか柔軟だかしながら、ステップしたりフットワークしたり、そして基礎打ちにたどり着く一連の流れは、私も含めた「旧バドミントン教」信者の固定概念である。一方、先生の概念は、勝てるようになる道筋の探索から始まる。つまり頂点を極める道筋は幾重にも広がっている。その道が「最適で必ず頂上につながる道」であるか否かを模索する余裕がない私たちに対して、まるで空から俯瞰しているように先生はルートを発見し、楽しく実りの多い道をすすめてくれる。

 7月下旬の鳥取トレーニングキャンプを終えて、全員のスマッシュが速くなった。そして全員のネットへのラッシュ力が向上した。たった数日で変わった。その模様はSports Graphic Numberに掲載された

 これだけ聞くと、さぞ難しい練習で厳しい訓練だったと思うだろうが、そうではなかった。何しろ明るく、楽しく(昭和のエッセンスバッチリの)、そして愛情あふれる指導ぶりだった。これだからイチロー選手はじめ、各界のトップアスリートの華を咲かせるのだな、と自分の身をもって深く学んだ。

 レシピはない。あれやこれやの「真心」と、生きていること、それだけで「楽しい」と思える粋なハートで出会う。これが「教える」ことなのだと感じた。

(個人の感想ですが)

 長話にお付き合いありがとうございました。また頑張ります。 

 楽しかったなぁ・・・(鳥取トレーニングキャンプ)

  先生の学びを支えた英語の辞書!(先生ご提供)

小山 裕史(こやま やすし、1956年11月14日 )鳥取県出身の、元ボディビルダー。自ら研究し考案した『初動負荷理論』で多数のトップアスリートを指導するコーチであり神経筋生理学者、博士(人間科学)。株式会社ワールドウィングエンタープライズ 代表(Wikipediaより)