ロードマップ 未来が見える地図

 毎朝、わからないほどだが確実に日の出が早くなっている。しかしそれがあまりにもわずかだから、家を出るとき、学校に向かう時の闇と寒さが心の芯まで凍えさせ続ける。

 たいてい、というか毎年この時期はほとんどの選手が壁にぶつかる。

 真夏の新チーム誕生の意気揚々とした頃は、例えば基本技術のマスターに始まり「とにかく後ろに返せ!」の合い言葉とともに必死に羽を打ちまくり、チーム一丸、互いに遠い目標を同じ方向の目線で追いかけ心は強くなり始める。「始める」であってまだ芽が出たほどだが・・・。その後新人戦や関東選抜と経験を重ねるうちに、周囲の選手や目標とするトップ選手との「差」に愕然とする。
 年が明け、練習メニューはやや「攻撃的」なものが増える。秋から冬にかけての「差」がそれだと気づき、「これだ!」と頭ではわかるが自分の身体が思うように動かない、できない。ましてやそんなに全員揃って育つわけがないので、その前の課題もあやふやなままの選手にとっては繰り返される嵐に見舞われるような気分になってしまう。そこに冬の「闇」と「寒さ」が背景をさらに暗く落とし込んでくる。辛いものだ。加えて終わりが見えないパンデミックが予期せぬ赤信号を灯し、行く手を阻む。さらに辛い。
 しかし、習得までのロードマップ(未来予想図)も、お節介なガイドやサポーターも揃っている。

 誰も行ったことのない山や大陸や海などの未知と対峙する探検家。その中のひとりがこう書いていた。「私は地図を見ないんです。地図には『未来』という解答が出ているんです。探検家は答えを知らずに挑むのです!」と。例えば、その沢(山間の川)を進むと、その滝の向こう側、この崖の上には・・・、という不安や恐怖の先にあるもの、すなわち「未来」、が「地図」には出ているというのだ。なるほどそうりゃそうだと思う。
 他方、私は子どもの頃から「地図」が大好きだった。今も暇があれば眺めている。探検家ではない私にとっての地図は「その先」を教えてくれ、想像の世界や、モヤモヤを解放してくれる「解答集」でもある。それは「あの道とこの道はここでつながっているんだ」「あの山から見ればこんな景色なんだ」なんてことを教えてくれるのだ。最近はその周辺の写真も見る事もできるし、余計な情報まで教えてくれる時もある。

 さて、この先は3月下旬の全国選抜というランドマークが全員の心の中に見えている。そこまでの目標や課題もわかっている。つまりそこまでの「地図」は配られている。その先の真夏の入道雲の上に高くそびえる頂上も(今の時点での)も遠くに見え、ロードマップもある。しかし、当の本人にはその地図が見えない、見ようともしない。まるで「探検家」だ。不安や恐怖が募るのは無理もない。だがそれがいつもの冬の日々なのだ。
 しかし、今一度自分の「成長ロードマップ」を見つめた方がいいかもしれない。案外違ったルートや景色が見えるかもしれないよ。そしてその道筋をなぞっていくと未来の自分が見えるはずだ。心の芽は葉となり伸び繁り、大きな花が咲いている、その大輪が見えると思うのだ。

目を上げてガンバレ!

日が昇る