Fight On!
新春のお慶びを申し上げます。
学校は3学期が始まり、早速力試しのテストなどを受けていた。
英語の試験監督をしながら「はて?」と思った。
その試験は動画授業を事前に受け、その到達度を測定するという趣旨のものだが、テスト自体もタブレット上で受け、ポチッと解答していく。
内容はごく基礎的というかありきたりというか、試験というより「クイズ」の連続である。そんな問題にも生徒は真剣に答えている。あるものは指で文字だか汚れだかわからない模様を画面上に描き、またある者は専用の「ペンもどき」でこすりつけるようにメモをとりながら進めていた。
コロナ禍を経て中高生へのタブレットなどの機器の普及が世界中で急加速した。それに先んじてオンラインをはじめとした動画配信講義も急増している。情けない話だが教員の研修もその手の動画を観る形態に変わりつつあるのだ。我々高齢者は「大丈夫なのか?」と心配するが、若手はスイスイ新たな高速道をひた走っている。
英語に話を戻す。この国に英語が登場して150年余りだろうが、その間にその習得方法は様々な過程を経て悩みながらも変わってきた。ざっくり言えば、「早く始めればいいのか?」「会話か?訳読か?」「実用か?教養か?」などの論争をまるで【歴史は繰り返す】のごとく今に至っている。そのなかで、先人たちの涙ぐましい努力の積み重ねで日本人独特の習得方法が確立しそう(?)になってきた。
しかし昨今、その清く澄みきった本流に玉石混合の土砂が入り込んでいる。【「官邸主導」や「経済優先」が英語の世界に入り込み、英語教育のシロウトが思いつきの域を出ない政策を押し付けることで、英語教育を大混乱に陥れていいる(江利川春雄『英語と日本人』)】
現場で教壇に立てばよくわかる。高校生の、いわゆる語学としての英語力は30年かけて緩やかに落ちていた。が、ここ数年は急降下している。
外国語として習得を重ね、その「実」が熟し第二言語として身につくまでは時間がかかる。しかし、いきなり短時間で第二言語教育を施しているので、文字通り「未熟」なまま世に出てしまう。例えば、「4ギノーをバランスよく!」などと言っているが、好きな文字を好きなように書く、言いたいことをテキトウな語を並べて話す、イントロクイズのような聞きとりをして、最終的には英語の本どころか、ネットの記事や海外の論文がまったく読めない生徒が増えているのだ。教室では「歌って踊れる英語」がまかり通り、それでもみんなそうだから成績はつくし、それに合わせた問題が用意され、力もないまま「エイケン2キュウ」などを取得してしまう。
こんな事態がわかっている家庭で育つ子供は、「主流の基礎英語」を身に着け、海外へ出て(大概このような家庭は高所得者のようだ)、バイリンガルとなり社会的地位を上げていく。【学力、教育、その格差たるや数十倍になるという(川嶋諭JBpress 2025/01/10)】
これらの動きに敏感かつ適切な見解を示す先生方も多いが、それらの話はいくつかの共通したイベントを通過している。
それはコロナの数年前のころからだ。
まず、大学入試への英語外部試験の採用が最後の最後、土壇場で却下された「大ちゃぶ台返し事件」があったころ、理論的な柱が現れた。現行の指導要領への批判的な見解とともに、英語の「読むこと」への重心移動だ。[+]
しかし「アクティブラーニング[-]」という舶来の怪しい指導法が現れ、皆さん熱狂的に試みたものの、本質的な疑義と批判、さらに「ダメやったわ」という多くの犠牲者を出しながらフェイドアウトしていく。[+]
そこにコロナ禍。自宅でのオンライン授業や動画サイトでの英語習得法の百家争鳴が起きて、またそれらがビジネス化され、子供たちはタブレットを持たされた。
他方その間に「読むこと」の大切さに加えて、「書くこと」の重要性の再評価もなされた。[+]
しかしそれでも無理やり取り込まれた「小学校での英語の授業」がまた逆の流れを引き起こし[-]、乱気流に巻き込まれながらここ数年の高校生の英語力減退[-] につながっている。
前述の「主流の基礎英語」とは(もちろん私見です)、まずは「文字と音がつながること」そしてそこに「意味がつながり」最後に「英語独特の文構造」がわかる力・・・、といったところだ。これらの力を中高生がつけてから(つけながら)自由なやり取りをすることがいいと思う。
私は子どものころ外国にあこがれ、恐る恐る言葉や人や様々な「異国」を味わった。その中でも英語が好きで、今ではそれを生業にするに至った。つまり私という人の「救世主」が英語であり外国語教育である。それへの畏敬の念は大きくなりはするものの失っていくものではない。その「英語の勉強」が今岐路に立ち危うさに包まれている以上何もしないでいるわけにはいかない。(【私たち教師は生徒をシンガポールのユニクロの店員にするために育てているわけではない】斎藤兆史)
だから伝えて伝える。Never Give Up!だ、Fight on!だ。
ここまで読んで、「それってバドミントンにも通じることだよね」とお思いの方も多いのではないだろうか?
福笑い (まともなほう)