青春 Youth

 第34期生が巣立った。

 どうにかこうにか「春が来た」もできた。しかし昨日から急激に冬に戻り、雪も降っていた。思うようにはいかぬものだ。

 明日から高校生の全国選抜大会に出かける。本当の春はもうそこのはずだ。

 先日の「春が来た」文集より再掲します。


 今や「青春」という言葉を耳にすることはほとんどない。ネットには「青春の死語20」なんてのもあって、「アッシーくん」だの「チョベリバ」などが列挙されているが、そもそもその中核の「青春」という言葉自体が死語なのだ。

 「青春」とは「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの」だそうだが、簡単に言えば「あなた」だ。あなたの「今」なのだ。
 心理学では「青年期」にあたる時代で、いわば大人への助走期間(アプローチ)と考えるとわかりやすい。
 そしてまたちょっと厄介(やっかい)な季節でもある。そこを生きている人は常にモヤモヤして不安になり、時には暴走さえしてしまい、果てには初めての挫折を味わうこともある。
 一方で、何かに一途に打ち込み、達成感を味わい、その過程で「かけがえのない仲間」と巡り会うのもこの時期だ。つまり「いろいろあったけどいい季節だったなぁ」と振り返るとニヤッとする時期なのだろう。
 
 私にも「青春」はあった、と思う。様々な経験をこまめに整理すれば、あぁ、あの時期だな、と思いつく程度だが。そして、その不安定で大人のスタートラインに立つか立たないかの「青春」を味わっている若者が好きだ。だから高校教師になった。

 ところで、水曜日の練習はカオスだ。「カオス」ってのは「めちゃくちゃ」という意味だが、地元の子どもたちがバドミントンを「楽しみ」に来ていて、ワイワイガヤガヤやっている。最近その子どもたちに混ざって3人の「青年」が西武台女子高校生選手にバドミントンを挑んでくる。彼らはみな高校生活を謳歌し今春西武台を巣立った学生たちだ(サッカー部)。そもそも「元ガキ」から「元少年」になり、「今青年」と格上げしてきた彼らだが、正直かつての『ガキ』時代からは想像もつかないくらいいい男になっている。どこで仕入れたかわからないが、ゆるゆるガットのラケットひっさげてコートに立っている。
 いいなぁ、と思ったのは三つ。ひとつ目はさすがに18歳のYoung menは運動神経がいい。そりゃ、いきなり対等にはラリーはできないが、力強いフットワークと力任せのラケット裁きで返球をしてくる、その自力には驚かされた。二つ目は、「今風」でないところ。年下の女子高生に気の利いた口裁(さば)きで、安定した受けを狙うところがなく、本当にバドミントンを楽しんでいるところだ。そして最後に一番感銘したのは、何回目の帰り際、私に「先生、どうすればアイツらに勝てますかね!?」と聞いてきた時だ。春まだ浅い日にもかかわらず汗だくになって、ガットも切って、シューズをコンビニ袋に入れて持ちながら、別に彼女捜しに来たわけでもなく、単純に「バドミントンって楽しいっすね!」と言っていた彼らに私は「青春」を観た。ちなみに、我がチームの選手の名誉のためにも言うが、彼女らも本気で楽しんでいた。ゲラゲラ笑い、少し小馬鹿にもしながら、それでも真剣にやっていた。こちらも青春だった。

 「コロナだから、密になるな、しゃべるな、食べるな!」と言われる。それを盾に人の粗探しに夢中になっている大人を観るとやるせなくなってしまう。若者は汗まみれで肩を抱き合う瞬間、顔を近づけてお構いなしに大声で叫び合うとき、笑っているのか食べているのかわからない食事の時間が大切なエネルギーになっている。本当は旅に出るのがいいんだ。友と朝まで語り合うのがいいんだ。そして泣いて笑って恋もして、ふってふられて、荒波の中をヨタヨタ歩く日々が必要なんだ。コロナは我々老人の命に関わる一大事かもしれない。他方若者は重症化リスクが低いからダメージは少ない、とかなんとか言われているが、コロナは「青春」に予想以上のダメージを与えていると思う。
 そんな制限された日々の中でも「本当の青春」をしている若者に接すると眩しい。心から応援をしたくなる。「私にもその季節があったんだ」という心の弦が共鳴する。

 さて、「あったんだ」と過去形になっている私のような老人に、そして「青春」とは無縁だ、そう思っているアナタに朗報となる一説を紹介したい。

 以下は、アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの『青春』という詩の英文の抜粋である。

Youth is not a time of life - it is a state of mind;
青春とは人生のひと時を言うのではない。心の状態を言うのだ。

it is a temper of the will, a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
旺盛な意欲、豊かな創造力、瑞々しい情緒、臆病を却ける勇猛心、安逸を却ける好奇心、こういう心を持ち続けることを青春と言う。

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals.
人は、年を重ねただけで老いるのではない。理想を失う時に初めて老いる。

 

 いくつになっても青春だそうだ。しかしこれも考えようによっては厄介だな。
 
 シゲキックスのようにスッパ眩しい君たちに乾杯!

5年ぶりの有川先生とのセッション、というほどでもありませんが・・・