12月 折々のことば

2015年のバドミントンマガジンのコラム『折々のことば』からの再掲です。 

 「頭がいいね、あの選手は・・・」プレイを観戦しながら、その選手の「頭の良さ」が分かるような言葉をしばしば耳にする。もちろん、「この頭の良さ」は「勉強ができる」ということを指すのではなさそうである。運動を掌る脳と勉強などで知識を身に付ける脳は異なるということをよく聞くが、前者のことだろう。

運動は特に脳幹、小脳で自動的に制御されている。つまり運動はいわゆる「意識」がさせているのではないということである。我々が獲得している日常の動作、例えば「歩く」という動作を取り上げるならば、歩くことについての詳細まで「考えて」行おうとすると途端にぎこちなくなってしまう。練習とはこのような無意識で制御できる脳の「記憶」作りに他ならない。繰り返すことや様々な試行錯誤の結果、運動の「記憶」が形成され自動化していく。他方、ロボットなどの機械の動きも結局「メモリー(記憶)」させることで、同じように考えられる。

しかしやっかいなことにロボットのメモリーと比べて人間の脳は一筋縄ではいかない。この運動を制御する脳を「ろうそくの炎」に例えるならば、上手くいっているときは微動だにしない炎が、不調の時は揺れ動き、操縦不能になるのである。

この「揺らぎ」の原因は何だろうか?一つは前述の「考える」という横風である。「いいか、ネットにかけるなよ」と言ったとたんにネットにかける。一生懸命に「考えてしまった」のかもしれない。

「揺らぎ」の二つ目の原因として考えられるのは「感情」であろう。ことに感情における「恐怖」の突風は激しい。強敵との対戦でこちら側が「勝手にミスする」状況はこの恐怖心という「感情」が影響していると思わざるを得ない。そのほかにも「大丈夫だろう」というおごりや、「終わった」といったゴールを意識した瞬間に脳の「炎」が揺れる。

では「揺らぎ」を制御するためにはどうしたらよいのだろうか?様々な本や人の話を聞くと『無心』とか『不動心』という境地が求められる。最近では『ゾーン』などと言われる時があるが、これは難しい。

「無心になるのだぞ」という指導者に対して、一生懸命に無心になろうと考えているうちにゲームが終わる。その後、「一体何を『考えて』いるのだ?!」と言う指導者と「『考えるな』って言ったじゃないですか?」と返す選手のコントに近い問答が体育館の片隅で長く続く場合がよくある。