年度末

0(ゼロ)泊5日の群馬遠征が終わった。簡単に言えば「通い合宿」である。

3日間は団体戦、残る2日間は個人戦の実践練習が行われた。普段なかなかできないチームとの試合ばかりなのでありがたい。期間中は相当数の保護者、関係の皆さんのお力添えでなんとか無事に乗り切れた。収穫も多い選手もいるだろうが、団体戦ではサポートだけで、個人戦になりやっと自分の出番を得た選手たちもいた。彼女らの未熟ながらも勢いのある動きに、待ちに待った感じが伝わってきた。同時に縁の下の力持ちとして表舞台に上がれない選手の苦悩も見え隠れする。では、レギュラー陣は明るく楽しく過ごしたのか、というと決してそうでもない。自分のイメージとかけ離れた身体の動き、制御を失ったショット、ミスの連発、叱咤、叱咤で「辛い群馬」の思い出だけが残ったかもしれない。

今日は3月31日、学校の暦では「大晦日」である。学校だけではなく、日本の家庭や企業、社会そのものが再スタートを切る前日である。年に何回かの、そして人生の中でも何回目かの「やり直し」が許される節目でもある。実際にはもう既に新しい土地に移り住んだり、初めてのコミュニティーに加わったり、新品の服や持ち物を身につけた人も多いことだろう。中でも「今度こそ」と発起している、ことに若い世代を応援したくなる。

私自身も勤めはじめは環境の変化とイメージとのギャップで面を食らった経験がある。しかし若さ故(ゆえ)「勢い」があり毎日をなんとか乗り越えることができた。

「いつかはきっと楽(らく)になるはずだ」と思いながら。

歩きから自転車へ、そしてバイク、車と移動の方法も変わり時短が進んでいく。またあっという間につながる、伝わる不思議な電気の網(ネット)が世界中にはびこり、「生活は絶対に楽になるはずだ」と確信していた。しかし、できた空白の時間に新しく仕事を押し込め、さらに忙しく責任も等身大を遙かに大きく上回り、困難や問題も山積みになっていった。つまり、遠い昔に思い描いた理想の「未来」に近づいているものの、さして「夢」ような暮らしとは思えないのである。いつになったら楽(らく)になるのだろうか?

西武台のバドミントン部では1年生は勝ち負けや活躍を急がず、まずこうすべきだ、そして3年生になったならチャンピオンを目指そう、という類(たぐ)いの話をよくする。「ようやく2年生になった、これで雑多で厄介(やっかい)なことから解放されるぞ」と思い、進級すると急に後輩任せで偉そうな先輩になるものもいないわけではないが、経験的に1年生の苦労もわかり、さらにバドミントンを自らの後ろ姿で伝える「責務」も背負いながらさらに困難や葛藤と向き合う選手のほうが圧倒的に多い。だから決して楽(らく)にはならない。では人生は生きれば生きるほど楽(らく)にならないのか?YesともNoとも言えないが、ことに社会的な役割を担う歳になれば「大変なこと」は必然的に増えてくる。

西武台では最上級生がトイレ掃除をする。これも立派な「社会的な役割」である。いくらイヤなトイレ掃除でも、気持ちよく使ってもらった方から「ずいぶんきれいですね」と言われればイヤな気はしない。自分のイメージしたように身体が動き、ショットが正確に入り、試合に勝った時、苦労が報われたときは、喜びの余り涙が出ることもある。

「全然楽(らく)にならない」ではなく、そんなこんながあっても「なんとなく楽しくなっていく」そんな緩やかだが確実な成長を続ける一年になってほしいと心から願っている。

渡良瀬に沈む夕日