至誠惻怛

 Let me express the greetings of the season.

新春のお慶びを申し上げます。

新年初顔合わせは江戸川の土手で行った。

爆弾低気圧の厳寒突風に吹き飛ばされそうになりながら柴又帝釈天まで走り抜いた。OB,OGのラン率が高く、たった1台の伴走用の軽自動車は選手の荷物でパンパンになっていた。

さて、いつもは見ない朝ドラ「わろてんか」を観てしまった。

新しい芸人(集団)を結成すべく4人の若い女性をそろえた寄席だが、彼女らがパッとせず、ベテラン女芸人に「指導」を依頼する。気の強そうなベテラン女芸人は4人にNGを連発し、「コーチVS選手」の激突となる。しかし、周囲のサポートや気遣いでこのコーチングは成功裏に終わる。

よくある筋書きだが、なぜこのように「コーチVS選手構造」は産まれるのか、そもそもなぜ両者は『怒る』のか?

ひとつの理由は「焦り」だと思う。「なぜできないんだ?」「なぜダメなんだ?」の後には「いつになっても」という時に関する言葉が見え隠れする。もちろん誰だってすぐに身につくとは思ってはいない。だがどういうわけか「焦る」、お互いに。親子や家族にもよく見受けられる構図ではないだろうか。

種まいて明日芽を出したり3日後に実がなるなんてあり得ないから、農業に携わっている方や自然を相手にする人に焦りはない。「しょうがない、待つか」となるのだろう。人を育てるのもそうに決まっているのだが・・・。

トップ選手が全国合宿に行っている間に、そのほかの選手全員がある程度、例えばダブルスくらいはなんとかできるようにしようと3日間「企てた」。結果は出るわけないが、おかげさまで風邪っぴきが3人、足痛が2人、自分も含めて腰痛が2人、怒鳴り声とお説教が繰り返される。つくづく分かっていないと思った。そもそもなぜオレは『怒る』のか?

今年こそ『至誠惻怛(あたたかみのある真面目さ)』を通せますように。

だけど、きっと暖かくなった春のある日には上手くなっていると思う・・・、ダメだ、まだ分かってない。

今年もよろしくお願い致します。

 I wish you a year filled with peace, good health and happiness.

元旦 信州別所温泉 女神岳から浅間山、菅平を臨む