お古とやり直し

 あれは確か小学5年生だったと思う。

 裁縫セットのプラスチック小箱をもらった(正確には買ったのだが)。今ならとやかく言われそうだが男女色違いだった。

 そして中学1年生のすぐに男子だけのクラスで「大工道具オママゴトセット一式in職人バッグ(最近見ないなぁ)」が配られ技術家庭の時間が始まった。

 両方とも真新しく、早く使ってみたいが、最初の時間は注意事項、トリセツの連打だった。こうすると手を切る、そしてこうすると命に関わるくらいの熱烈ガイダンスだったが、それが遠くに聞こえる頃、

「こらぁっ!タカセ、まだ触るなって言っただろう!!」と怒鳴られ、心身共にビクッ。横斜め前から「バ~カ、やっちまったなぁ」とIくんが横目でニヤけている。

 頭を冷やし辺りを見ると真新しい道具類の中には明らかにヴァージョンが古いものを持っている者もいる。「お古」だ。と言う私も中身のいくつかは兄、姉の「お古」だった。だからって何だと言うことはなかったが。

 しかしこれは違った。英語の時間だ。明らかにもうすでにやっているヤツがいる。親の都合で海外にいた子や、その頃まだはしりだったが『塾』に行って、すでに進んでいるヤツがいたのだ。

 先ほどの大工道具の場合はいくら古いヴァージョンを持っていたって「アイよ!」って感じでカンナの刃をいきなり細い目で見るような職人ジュニアはいない。だが英語は違った。最初からハンデ戦のようにはるか先を走っているヤツがいたのだ。

 それからしばらくして、そして何年か経ってわかったことがあった。

 まず、いわゆる帰国子女(まさにその頃お嬢様風の女の子がいたのだが・・・)は、読めて、話せて書けちゃう。「文法」なんてどうでもいいのヨ。高校は都内のそれなりの学校に行き、私とはその時点で永久の別れになった。

 次に早めに塾や某でやっていたヤツ。これは二つに分かれる。最初のダッシュはよかったものの、だんだん追いつき追い越されていく。中2の冬には髪の毛をなではじめ、学ランも変わってその筋の道を極めに行ってしまったやつ。もう一派は、不断の努力型、世の中まっすぐ登っていく優秀なヤツだった。

 さらに、帰国子女でもなく、塾に行っているわけでもないのに、不思議なくらいどんどん覚えてものにしていく「神的」な人たちもいた。

 スポーツなども野球や水泳はフライング組がいたものの、ほとんどが中学デビューが当たり前で、何故か最初は「声出し」の刑にに処されていた。

 今は違う。何でもかんでも子供の頃からやっているヤツがいる。英語なんか日本語より上手な子供や(これはこれで困ったもんだが)、「万国びっくりショー」に出た方がいいよって思わせる小皇帝が多い。バドミントンだって例外ではない。高校ですでに10年近くやっている選手がゾロゾロいるのだ。

 さて、これらの問題は、モノを覚えるのは早くから始めた方がいいか否かという議論と、適切な「覚え方」とは?という少なくても二つの議論ができる感じがする。つまり早ければ早いほうがいいのか?とか覚える順序ってあるのかな?などということだが、どちらにしてもこの手の話は一筋縄ではいかない。

 私はその時期や方法に「絶対的なもの」があるとは思っていない。むしろその逆にみんなの顔が違うように、その一人一人によって様々に織りなされるのが「学び」だと思っている。そして「学び」はやり直しが何度でも利く「やさしいヤツ」なんだとも思っている。つまり、その人それぞれの学びは、人おのおのの「出会い」に集約されていく感じがする。どんなときに、どんな人から、そしてどんな思いで「学び」に向かい合うのか、そしてやり直すのか、だと思う。

 明日は修了式。どうだったこの1年は?ほとんどがドンマイだっただろう。それでいいと思う。だって全員が「万国びっくりショー」には出られないんだから(わからないな)。

 明後日からは茨城県で全国高校選抜が始まる。これは「学び」の力試しだ。これがないと進む方向も量もわからない。大いに滑って転んではしゃいでこい!そしてTryとTry Again!の4月を迎えよう。

 

 追伸1:4月から1ヶ月ごとにその昔バドミントンマガジンに載せた「折々のことば」を再掲する予定です。

 追伸2:西武台千葉高等学校の野球部でご指導を頂いていた加藤郁男先生が御定年を迎えられました。「地元で自分のガラにあったことをする」とのことでした。ありがとうございました。

 

墨堤通り 菜の花 もう少しでサクラ、お花見だね