milestone 節目
気温の乱高下を繰り返しながら新緑の季節が深まっていく。
今日4月29日は当方にとっては節目の日である。そして明日の30日で「平成」も終わるので世間も節目を迎えている。
「平成」はどんな時代だっただろう。私にとっては未熟な社会人のスタート、つまり教職デビューであり、あれやこれやと毎日目の前のことをこなし、ほぼ等速で今日までやってきた。その間に娘が生まれ、2回引っ越しをして、犬と猫を飼い、インターハイと国体を自分の住む街で経験し、娘は自立し、NPOを設立し、卒業生の娘や息子を迎え入れ、米つくりを始めた。計画的な脈略はないがすべて「つながり」がある30年だった。
世間はどうだったろう。私自身としては、「格差の広がり」と、切っても切れない「過去との対話」の時代だったと思っている。平成が始まった頃「ホームレス」が一般的に認知され、河原はブルーシートで覆われ始めた。残念だが「自己責任」つまりそれは怠けた結果だ、という認識が一般的であり、それが平成の前半だった。しかし、後半は「自己責任論」から、自分ではどうしようもない「定め」で貧困の現実にさらされている人々は我々が思うよりはるかに多く、世界の中でも貧困率の高い国「日本」という現実を突きつけられている。
さらに今の問題は70年以上前の戦争がそもそも原因であり、そんな話題ばかりが新鮮な問題として取り上げられている。例えば沖縄の問題も北方領土も韓国の問題だってみんな70年以上前の戦争の後遺症、あるいは副作用である。その昔の日本人が何世代か後の今の日本人に何だかの影響を与えている。もちろんそんなはずではなかっただろうし、誰が悪かったなどということも定かではない。わかることは「今」の人々は「過去」の人たちと必ず「対話」することがある、ということだ。
私は昭和に生まれ、昭和の教育を受けた。高校生の頃、日本史だの世界史だのの授業を受けるにつけ「その話は本当か?」と常に疑い嫌っていた。もう昔のことはいいだろう、何で「未来」という授業はやらないんだ、と無責任に思い上がっていたのが昭和だった。
それが、「過去に根ざさない今はない」、歴史はつながっているという単純だけど最も尊い答えを知ったのは平成を生きている最中だった。恥ずかしながら私自身にとっては平成の大発見だった。
令和の大発見は何だろうか。過去との対話がこれまでなら、未来との対話かもしれない。いずれにしても依然として歴史は変えられない。だからこれまで同様、目の前の問題を一つ一つ正攻法で辛抱強く解決していくしかないのだろう。まるでバドミントンだ。目の前の羽を追う以外には未来は来ない。この一球、このラリー、このゲーム、今日一日を大事に辛抱強く生きていくしかないのだ。
明日から高校の関東大会県予選が始まる。男子は30年連続出場を、女子は28年連続出場をかけて大会に臨む。目に見えないバトンが明日からはっきり見えてくる。そしてそれを握りしめ駆け抜け次のランナーの手元に届ける。
4/30-5/1、平成と令和をまたいだ関東大会千葉県予選、男子は県総合スポーツセンター(天台)で、女子は成田市中台の体育館で行われる。その後男女とも遠征と埼玉オープン大会に出場する。中学生も県選手権を3~4日に浦安市運動公園総合体育館で行う。「今」の選手に声をかけてほしい。是非「対話」を楽しんだもらいたい。
それらが終わると今年度の米つくり、田植えが6日に行われる。簡単に「あー、そーですか」とはいかない。なぜならこれこそ「未来との対話」だからだ。これ以上の意味を知りたい方は是非現場に来て泥んこになりながらご一緒願いたい。
ありがとう平成。
新緑、利根川から日光の山々