10月 折々のことば
2015年のバドミントンマガジンのコラム『折々のことば』からの再掲です。
ほめ言葉が救いの一手となる
他人と自分を比べ、比べられ、やるせない思いを経験したことがあるだろう。「他人と比べられても気にしてはいけない」と思ってもなかなか看過できないものだ。では、「自分と自分を比べる」経験はどうだろうか。
バドミントンを始めたばかりの時は、できないことができるようになり日に日に上達していく「自分」がいた。しかしある日、その成長ぶりがわからない日が訪れ「伸び悩む自分」を感じる。言い換えれば、わずかに成長はしているものの、その度合いが小さくなり、自分で確認することが難しくなった時期、いわば成長の階段の「踊り場」のことだと思う。こちらもつらいものだ。
当たり前だが、どんな競技でも成長の傾きが直線的に「右肩上がり」が続くわけはない。上級者あるいは熟達していけばいくほど、他者との差や自身の成長の度合いは限りなく小さくなっていく。スモールステップの成長が自覚できないのでフラストレーションが生まれスランプへとつながる。昨今ならばすぐにネットで検索し情報不足を解消しようと試みるが、満足いくものが得られず、逆に不安をあおられることもある。
そのような「伸び悩み」を感じている新人選手は不安と不満の渦巻く心の中で、起死回生の一手を模索し始める。どこまでも続くように思える闇の中をさまよい続ける選手を支えるのが、寄りそってくれる指導者ではないだろうか。指導者は選手が思う以上によく観察しているものだ。そして適切な『言葉』を投げかけてくれる。しかし、その多くは「こうだからダメだ」というような否定的な言葉である。一方、選手は「こうすればよい」というプラスの言葉を待ち続ける。どちらが良くて、どちらが良くないという簡単な問題ではなく、両者の「本気の葛藤」は続く。「葛藤のないドラマはない」といわれるように、人の成長にも葛藤は欠かせない。この葛藤を乗り越える経験こそ『努力』と呼ばれるものである。そして忘れかけた時に、打てなかったショットが打て、動けなかった足が動き出す。
長いトンネルの出口を照らす明かりは、それまで自分を支え続けた自分自身の「情熱」である。そして冬のように長く続く伸び悩みにピリオドを打つのは、指導者の口から出る、天にも昇るような「おほめの言葉」だろう。