パラダイム
少し肌寒くなったが紅葉見物にはちょうど良い季節かもしれない。こんな時は体育館にいるのが少し残念な気がする。それでも大会だから仕様がない。
高校生の県新人大会が終わった。インターハイが終わって夏の信州合宿から始まった新チームの最初の晴れ舞台に「親ばか」同然、やれこうしろ、こうするな、とほぼ毎日付き合ってきた。それなりに頑張っていた、ではなく予想以上に頑張っていた。しかも私からちょうど良いように離れていきながら自分たちで力を合わせて盛り上がっていた。きっと家庭や周囲のみんなのいいサポートが在ったからに違いない。
さて、長いことバドミントンを見ているうちに「バドミントンってこうなんだ!」的な様々な「当たり前」を聞いたり見ることがある。それに対しある意味疑問を持ち、疑い、違う答えにたどり着くことが何回もあった。その一つが「勝つバドミントン」だ。
だって他人が言うような「勝ち」のシーンってトッププレーヤーにだってそんなに観ないし、逆に間抜けな「負け」ばかりが目に入るのだ。それってもっと遠くに打てばいいのに、もっと高く、もっと広い方に…という塩梅に。
だけど当の本人には観えない。「私だってそんなミスしたくてやってるんじゃないんです!ミスなんですよ、ミス!」って心の底で叫んでも「ナンでミスするんだ!」という指導者の言葉の壁の前でにっちもさっちもいかない。本人は弓道の的(まと)の真ん中の黒い丸から外れた、あるいはサイコロ転がして「1」を出せと言われても「3」や「5」の目が出てしまう。そんな感じだろう。
しかし、実際には真ん中の黒い丸は「的と同じくらい大きな黒丸」で、サイコロは6面はどれもが「1」なのだ。それでも単なるミスといえるだろうか?つまり「勝とう」とするとなぜか的の黒丸は小さくなり、さいの目は「1」以外になっていく。「勝つと思えば、思えば負けよ」、歌姫美空ひばりさんも言っていた。
当たり前と考えられていることを「パラダイム」という。バドミントンのパラダイムもいろいろあってその一つがこの「勝つバドミントン」だ。だが実際は「負けないバドミントン」ばかりが在るのだ。きっと「負けない」なんてどれだけ消極的でつまらない考えなんだ!とお思いのみなさんもいると思うが、観方を変えればきっとそうわかる。少しはそんな角度で観てほしい。
まだまだ怪しい「パラダイム」はいくらでもあるが、どれも人が創り出した係数が異なるものの見方かもしれない。だってシャトルもラケットもコートもほとんど変わらないし、ルールだってあまり変わっていない。ずっと変わらず一筋に続くバドミントンの姿はしなやかに飛び続けるシャトルコックのフライトと、根気強く羽を追い続ける選手の思いだけだ。
まとめればこれが今回の大会の感想だ。早く分かって欲しいし、向き合ってほしい、自分自身に。そうでもなけりゃチコちゃんに叱られるはずだ。
次の山目指して一歩一歩登り続けよう!