ポツンと一軒家

 慶春

 久しぶりの雨で全体的にしっとり落ち着いた夜を迎えた。

 新しい年になっても数日前と大きく変わったことはない。だからといってこの節目をテキトーに済ませるつもりもない。それなりに、そしてある程度しきたり通りに過ごしたかった。

 信州の温泉まちで年越しをした。人気の観音様があるもんだから人の数は思う以上だ。この人混みとは別に自分たちなりのスケジュールをこなす。①温泉に入る、②喉が渇くから(?)ビールを飲む。③食卓には何重ものおせち料理が並び、それが消えると④テーブルには百人一首、花札そしてトランプが広がる。どれも「勝負事」だが、紅白歌合戦がBGM的セレナーデになって夜が弱い自分は負け続けそうになってしまう。だがテーブルを囲んでいる方々はみんな大切な人たちだから簡単にギブアップはできない。

 「いつもあと少しってところでダウンするんだよね」と指摘され、しょうがねぇなと、⑤目を二重にしながら今回は12:00までなんとか堪える。

 そして思っていたよりはあたたかで穏やかな元旦の朝を迎えた。

 玄関先で他のメンバーの出足を待つ。まず⑥小高い神社で初詣と願い札を納め、背景がくり抜かれている境内の舞台で⑦初日の出を拝み、例の⑧人気観音様にはしご参りをする。その後⑨隣の温泉に浸かる。そしてのどが渇く②・・・。その後は③を堪能しながら、腹ごなしに⑩山道を歩いたりした。

 何もそこまでスケジュール通りやらなくても・・・、とは思うが、おそらく1人だったらしないかもしれない。だがこの時は大切な人たちがグループになっていたので、まるでツアーガイドの旗を頼りに歩いている観光客のように超日本人的な振る舞いを楽しんだ。

The family that prays together stays together.

(ともに祈る家族はいつまでもつづく)とあるように・・・。

 グループやチームを「鎖(くさり)」に例えるならば、一人一人はつながっている「輪」ということになる。これまた英語で恐縮だが

The strength of the chain is in the weakest link.

「くさりの丈夫さは一番弱い輪で決まる」、つまり『部分が全体を支えている』という意味のことわざである。それぞれの「輪」が互いに気遣いながら全体を動かし目的に向かってゆっくり進んでいく。この様な活動を青年期に経験することは後々大変貴重になる、と改めて思うようになった。だから部活だとかスポーツやアートなどのサークル活動は高校生に大変いいのだ。しかしその時に支える最も小さな「部分」に気づき尊重しなければ意味がない。さらにその中でも「最も弱い輪」を認知し、相互にサポートできる「生きるスキル」を身につければその学びは倍加する。

 最近『ポツンと一軒家』なる番組が人気を得ている。確かに紹介されるお宅はみんな「ポツン」だ。しかしどれもこれもそこに住む人々と地域や家族、そして時代を経てつながっている他の人々との強い絆がよくわかる。決して逃げ隠れしているわけでも、おひとり様の王国でもないのだ。バドミントンは個人競技だが、最低でも打つ「相手」は必要だ。そう考えればひとりで粋がっていても始まらない。

 あらためて新年の誓いを立てながら「昨日の自分を超える」学びを繰り返している選手たちに、昨秋のラグビーワールドカップの《One Team》を今一度思い出し、希望のスタートを切ってほしい。2020年の健闘を祈る。

別所神社の舞台から初日の出

新春の塩田平

新春恒例柴又ラン スタート直前