アジサイ

 紫陽花には「七変化」という別名がある。あれっ、と気づくと色が変わっている。雨降りの日に似合う紅紫色にお色直し、梅雨も本番である。

 マスクをすると口のまわりが少しあたたかく感じる頃からすでに数ヶ月、今では暑苦しくなってしまった。「その頃は収まってるんじゃない?」なんて考えていた頃がなつかしく、また悲しい。

 「自粛生活のまとめ」はまだまだ早そうだが、「私はどう暮らしたか?」と自身を振り返ると、小さく縛られた生活の中でも「今までやらなかったこと」や「やりたかったこと」を経験した日々もあった。ゆったりとした時間の中で、初めての挑戦や久しぶりの出会い、そして思わぬ気づきをした日を何か意味深く感じた。

 自分の性格だろうが、それでもやっぱり何かパッとしない。人と会うのが不自由な時、そんな自分が逃げるところは、いつも通り「本、テレビ、ネット」だ。

 しかももちろん見るんだったらワクワクしたいから、自分中心に下調べしながら読みあさり、期待して映画も観た。本だって読み手である私の年齢や状況で感じ方や思いは変わる。不思議でややこしいストーリーの「こんがらがった結び目」がほどけたり、隠れたなぞなぞが解ける瞬間もあった。そこに加わったきた強豪メディア、「ネット」。その中でも何てったってYouTubeは、見ない日がないくらいお世話になった。それも、お笑い、ドキュメンタリー、スポーツ、グルメに音楽・・・、気晴らしにはもってこいだった。しかし、ここでふと考える。

 ニュースや、それこそネット上の話題には「アーティストの困窮」が頻繁に出てくる。我々サラリーマンとは違って、安定した収入がない彼ら、彼女らは苦しんでいる。お互い様と言ってしまえばそれまでだが、それは大いに違うかもしれない。歌う方、お笑いを届けてくれる方、映画を作り楽しませてくれる方々に、こうして我々は心底支えられているにもかかわらず、一方のアーティストたちは大変な思い、苦しい生活を送っているのが現実である。日本は「芸術を応援する力が弱い」と世界基準と照らし合わせて批判する方々のご意見はもっともだと思った。

 小学生の頃から、そして中高生になるとさらに「主要教科」を重んじる。「受験に必要だ!」と英数国社理あたりを重点的にたたき込まれる。私もたたき込んでいるのかもしれないが、この風潮がマズイのかもしれない。

 高校選びや大学進学、そして就職するあたりまでは、つまりその「主要」教科が幅を利かせているが、その後の長い人生を支えてくれるのは、調理や縫い物、DIYの家庭科や、似顔絵やスケッチそして大作まで、思いを描き色に託す美術、カラオケ、合唱、時には踊り盛り上がる音楽、などの「5教科外」ではないか!そしてそれらがYouTubeに集められている。もちろんスポーツもそうだ。する人見る人が、感動とともに人生を大いにふくらませ、穴の空いた人生をすっかり埋めわせてくれる。バドミントンにもそんな力がある。数年前、街の女性教育長からこんな話を聞いた。「いいですか、あなたたちは(西武台の選手に向かって)これから長い人生を歩むの。そんなときに大切なものは3つよ。『ひとつの外国語』、『ひとつの楽器』そして『ひとつのスポーツ』。これがあればあなたたちは素敵な人生を歩めるはず。良かったね、すでに『ひとつのスポーツ』に出会えて・・・」いい話だなと思いだした。

 ニューフェイスが同じコートで練習するようになって1ヶ月が過ぎた。今年もいい顔の選手が揃った。だけどこの1ヶ月はさぞ緊張し、疲れ果て、そして妙に充実した楽しみを味わえたのではなかろうか。あらためてチームで力を合わせて過ごす尊さを実感している。オンラインもいいけど、やっぱりいろいろな顔や性格の「ひと」が集まり、本物のシャトルを汗をかきかき高々と打ち上げながら、『思い』を寄せ合わせる瞬間は何にも代えがたい。

 もう一つ、3年生のみんな。すまないな、こんな高校生活になってしまって。勘弁してくれ。しかもそんな楽しい5教科『外』を味わえず。まさに『3教科』ばかりの泥沼に引きずり込んでしまって・・・。

 しかし長い人生の中では、それもこれも【学び】という大きなくくりと考えれば、今まさに大切で意味深い時を過ごし、後に大きく成長した自分に気づく日が来ることだろうと思っている。

 紫陽花のように人生の色合いを変えていくのだ。

 この先どうなるか分からないが、生きてりゃいいことあるに違いない。

 

 

 

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