バタフライエフェクト

 謹んで新春のお慶びを申しあげます。

 新年早々の災害、惨事に見舞われた方々には心からお見舞いを申し上げます。

 そんな時にのん気に正月気分で書きだすことをお許し願いたい。

 録りためていた番組の中から『映像の世紀』を観た。加古隆の「パリは燃えているか」の寂しくも緊張した曲がこちら側の姿勢を正す。数年前から『バタフライエフェクト』という題名が加わり、番組は進化し続けている。

 ドキュメンタリー番組なので取材は慎重に行われ、ていねいに製作されている。

 例えば、ひとりの黒人少年の怒りから始まった勇気の連鎖の物語、プロボクサーチャンピオン、モハメド・アリ氏のそれは面白かった。とある日、自転車を盗まれた黒人少年の訴えが「ボクシング」というスポーツにつながり、世界最強のボクサーを誕生させる。しかしその後の反戦を訴える彼を待ち受けたのは「偏見」であり「差別」であった。それでもその意思や思いは「蝶」に運ばれ時代を超えて、オバマ元アメリカ大統領に引き継がれていく。このようにささいではあるが、めぐりめぐる真実のつながりを『バタフライエフェクト』としたのだろう。

 私は十代の頃、もうすでに終了している過去には興味がもてず、これからのこと、未来のことばかり追っていた。そんなとき、年長の方から「昔もこれと同じようなことがあった。歴史は繰り返すんだよ」と嗜(たしな)まれた。今思い起こせば恥ずかしい限りだが、「繰り返す」とは別に「つながり」が見えてきたのはしばらく年を重ねた後だった。

 いつものように初春を信州別所温泉で迎えた。大晦日の晩、ごちそうが並ぶこたつテーブルを囲み、亡き義父に話がおよんだ。義父は中学校の教師をしながら画道に打ち込み、数々の作品を残し、多くの教え子たちとふれ合った。「そうだったのか」という気づきと、父の生き様は亡くなった後時間がたつにつれて量も深みも増していった。

 その父の新婚の頃、そして教師として駆け出しの頃の作品を「輝 クロニカル」と題してギャラリーで企画展示を行うことになった。それに先立ち、画道に打ち込む若きアーティスト、色の詩人池田輝氏の情熱と思い出をパンフレットにまとめた。その文章を書いた妻がみんなの前でそれを朗読し始めた。するとその時、何気なく見上げた部屋に一羽の蝶がヒラヒラと舞っている。【亡くなった人が蝶になる】と聞いたことがある我々は、それを亡き義父と思い、自分のために集まった家族をヒラヒラと上空からうれしそうに観ていたに違いないと話し始めた。もう一つの『バタフライエフェクト』だった。

 時代は繰り返される。とはいうものの、同じことは二度と起こらない。だが、全く異なることだが、見えない「奥の方」でつながっていることがよくある。それを「心」や「魂」と言ったり「縁」と呼ぶときもある。親から子へ、子から孫へ。先輩から後輩へ、悠久のロマンから今へ、そして永久の未来へ・・・。では昨年から新年へ、気づかずに受け継がれ大切にされている「心」は何だろうか。

 ちなみに、リング上で百戦錬磨のチャンピオン、モハメド・アリを人々は『蝶のように舞い、蜂のように刺す』と讃(たた)えた。まさしく我々が目指すバドミントン像ではないか!とこじつけながら私はニンマリしていた。そしてマッタリ酔いながら、新年の夢を大きく膨らませてみた。

 今年もよろしくお願いいたします。

早春の利根川堤