餅つき2018
久しぶりのまとまった雪で小さな路地などはまだ凸凹に凍っている。車もつかえないので歩いて学校に向かう。
今年も新春を飾る大もちつき大会が行われた。天気も上々で、外で炊き出すお父さん方も少しやりやすかったかもしれない。お母さん方も色とりどりのスイーツや、選手も大人も好きそうなごちそうをたくさん作って用意してくださった。
またまた、そもそもな話だが、この会は2年目に始まった。1年目は微かにあった。日曜日の練習中に家内が「サトウの切り餅」を教官室で焼いて、醤油をつけて順繰りに食べさせた。すると当時の保護者(初代保護者会長、ちなみに『電球ノック』のお父さん)の荒井さんが「これじゃかわいそうだから、ちゃんと臼と杵で餅搗いて食べさせようよ!」と翌年から正式に始まった。だから今年で29回目かな?
江戸川の土手近くのグランドで炊き出してみんなで搗いて新年を祝う。ついでに当初は埼玉西武台のラグビー部が来てくれて、綱引きやソフトボールも楽しんだ。だから昔からおおむね100名前後の大所帯だったと思う。
炊き出しの煙の向こうでは大綱引きが行われている 1989年
今年のもち米はハイブリッドスターライスプロジェクトの米、と言いたいが、その近くの田で星野さんが作ってくれ、寄付してくださったもち米だ。ひとりひとり縁起もののように、ぎこちない杵さばきで何とかついていた。
いつしか、餅つきもさることながら、余興の出し物に手が込んできている。中学生も高校生も、男子も女子も、お父さんもお母さんも、みんな「かくし芸」を披露してくれる。
今回の高校生女子が演じた『バブリーダンス』は好評だった。「かくし芸」だから隠れて準備や練習を行ったのだろう。よくまあ忙しい毎日なのにこれだけできるもんだ、と喜んで観てしまった。化け物の様な化粧(メイクですか?)、肩パットが入った「バブル当時」の衣装、そしてフットワークよろしく、よく整ったステップ、どれもよかった。終えた彼女らに「その衣装はどうしたの?」と尋ねると「お母さんのです」と返ってきた。そうですか、そんな時代もあったのですね・・・。
ここからはいつもの妄想。きっとあれやこれやこの出し物を計画しているとき、「お母さん、そんな服持ってない?」という会話になり、自身やご友人から借り集め、中にはサイズも合わせ、化粧の手ほどきもして、親子総出でやっていたのだろう。その共感が伝わってきた。だって、大会の試合より熱心にビデオ撮ってるんだから!
なぜお母さん方はこんなに力を貸したのだろうか、そして荒井さんはなぜ「かわいそうだから」と言ったのだろうか、さらになぜ「サトウの切り餅」を焼いたのだろうか?
それは『冬』だからかもしれない。昨日の様な雪降りでも何とか学校まで行かなければならない。だけど行ったところで褒められもせず、足は痛い、腰も痛い、心もイタイ。冬のこの時期は何かと辛い。長年つけている私の日記の冬のページを観てみると、「〇〇休み」や「ケガ、病院」そして「〇〇のトラブル」という文字が頻繁に目に入ってくる。寒さだけでなくこの試練もこの季節特有かもしれない。
こんなに頑張っている選手へ、つらそうな我が子へ、せめて「餅」くらい・・・。
かつて、高校バドミントン界は日本海側の裏日本や北国の学校が強かった。雪が多いので室内スポーツが盛んだという理由を聞くが、どうやらそれだけではなさそうだ。この厳しさが「育む」選手たちが活躍したのかもしれない。最近は寒冷地の体育館に限って「暖房設備」が整い、逆に関東地区の体育館のほうが寒い場合もあるが、どうなんだろう。この季節の一本一本、一歩一歩が春を運んでくれるのだろう。 『春よ来い』
朝霧の利根川堤