南の島の大きな夢

 週末は見事な秋晴れに恵まれ、深まる紅葉と少し冷たい秋風をカラダいっぱいで味わいたい、と思うところだが、室内競技にとっては苦しい「お出かけ日和」だ。屋根や壁に囲まれたところにいると残念でたまらない。せめて早く上がってきれいな夕日と、出てきたばかりのスリムな月でも眺めたいものだ。

 ところで、私たちはSNSを、大会の途中経過や結果の報告をするとき、頻繁に活用している。具体的には、Facebookで大会前後の案内やまとめ、Twitterで速報、そして最近はInstagramも活用するときがある。さらにこのブログで、まつわる話やよもやま話を発信させてもらっているのだ。コロナ禍では中継手段としてTeamsも使い始め、NPOの会員の皆さんやOB、OG、関係する多くの方々に“まあまあの動画”を配信している。

 当初はFacebookオンリーで行ってきたが、最近「なんかぁ、Facebook(それ自体の投稿が)面白くなくなったんじゃないの?(つまらない)」とか「今の若い人はFacebookなんか使わないよ(年配のひとだけだよ)」などというご意見をいただいている。私自身もそんな気がしていたところだ。けれど、気づくとFacebookを覗いている。

 ある日(つい最近)、以前からつながりのある、南国の海に浮かぶ島モルディブ共和国バドミントン協会の投稿を目にした。「ああ、頑張ってるんだな」と何気なく目をやると、写真の中に「+251件」という文字が飛び込んできた。「251件!?」と驚きながらその写真の一枚一枚を丁寧に見始めた。

 それはつい先日行われたLI NING MALDIVES INTERNATIONAL CHALLENGE 2022(略してモルディブチャレンジ)大会の模様を記録した写真集だ。この大会を最高司令官として切り盛りしてきたのはムーサ・ナシード氏である。「次へ」をクリックしていくと準備段階から開催まで、活躍する選手から裏方の皆さんまで、きれいな写真が次々と現れた。そしてことあるごとに中心にはムーサ氏のあふれる笑顔がある。気づくと私の目から涙がこぼれていた。

 それは南国の小さな島の夢の物語である。

 時は1970年代中盤、主人公は現在NPO法人アルファバドミントンネットワークで理事を務め、海外のバドミントン事情を高校生たちにいつも伝えてくれる白井巧さんである。

 白井さんは埼玉県越谷市出身、バドミントンの名門越谷栄進中学校で加藤先生に手厚い指導を受け、めきめきと実力をつけ、越谷南高校創世記をリーダーとして礎を築いた。その後大学でもキャプテンとして活躍し、卒業後「青年海外協力隊」のバドミントン競技コーチとしてインド洋に浮かぶモルディブ共和国に派遣され、数年間そこにバドミントンの種を植え続けた。そして小さないくつかの芽が出てきたが、その「芽」が前述の第2の主人公でもあるムーサ・ナシード選手だった。白井さんに言わせれば「その時はバリバリでしたよ!」と今でもエネルギッシュな方なので当時の指導風景はさぞやマンガの劇画調シーンの連続だったのだろう。

 その後、白井さんは大学院に進み、大学で教鞭をとりながら、影となり日向となりモルディブのバドミントン、そしてムーサ氏との師弟関係を超えた“友情交流”を続けていった。他方、ムーサ氏はその後モルディブのナショナルチームのエースとし大会で活躍し、引退後はバドミントン協会の会長に就任し、今ではアジア、そして世界のバドミントンの一翼を担う人物となった。

 私たちの街に国体(ゆめ半島千葉国体)が来た年(2010年)に、その「モルディブチャレンジ」が始まった。体育館もままならないどころか、島々の人々のバドミントンへの理解や関心はまだまだだったと思うが、ムーサ氏と白井さんのコラボレーションよろしく、バドミントンの“タネ”ではなく、今度は“苗”を植え付けた。日本からも毎回のように若手の選手が参加し、今回は卒業生の杉山未来選手(昭和電工)も出場した。

 この2人組が7年前に、我々夫婦の前に現れたのだ。そして真剣な目をしてこう言った「モルディブからオリンピックに選手を送りたい」と。さらに「ついては、西武台でガッシュクさせてほしい」と。話はすぐにまとまった。というかまとめた。ホームステイ先は?食事は?練習の内容は?・・・。といううちに来日する選手が決まった。「ナバ」と「ナビ」という双子の少女だった。バドミントンンもそっくりだったので最後までどっちがどっちかわからないくらいだった。彼女らは西武台の選手と同じように制服を着て、授業を受けて放課後の部活動に励んだ。その当時、外務省などで推し進めていた東京オリンピックに向けてのSPORT FOR TOMORROWという事業にも取り上げられたが、その時の若いキャリア職員の女性もたいそう感激していた。

 この手のガッシュクはこの後も続いた・・・。

 そして2021年夏、そのナバ選手が、東京オリンピックの開会式でモルディブの旗を大きく振りながら現れた

 夢のようなその画面を見つめながら鳥肌が立った。ナバ選手をここまで鍛え上げ、育んだムーサ氏、支えた白井さんの「努力」に感服した。

 ほんのわずかだが関われた幸せを感じながら、私たちは次の夢を見ていた。

 白井さんのサクセスストーリーはまだまだ続くが、それはまた後ほどぼちぼちと語らせていただく。何しろ、南の島国モルディブとムーサ氏、白井さん、このつながりにみなさんも今後とも注目をしてください。

白井さん 「いいね、いいね!」と「今度どう?モルディブ?」が口癖